『太陽は夜も輝く』 隠れた傑作、これいかに? 第4回
『太陽は夜も輝く』 1990年/イタリア
監督:パオロ・タヴィアーニ、ヴィットリオ・タヴィアーニ
出演:ジュリアン・サンズ、ナスターシャ・キンスキー、シャルロット・ゲンズブール
国王に仕える事になった田舎の少年セルジョは、長じて貴族の娘と婚約するものの、
彼女が王の愛人であった過去に傷つき、絶望する。
山奥で修道士となった彼は、たまたま起こった奇跡によって、再びその過去と共に噂されはじめる。
ロシアの文豪トルストイの『神父セルギイ』を題材に取り、
18世紀ナポリを舞台に、愛に絶望した神父の生き様を描いた作品。
配給会社やソフトのメーカーは「文芸大作」と銘打っていて、
確かに華麗な貴族社会の場面も展開しますが、
実際には非常に内省的な、一人の人間の内面を描いた映画です。
タヴィアーニ兄弟の作品は、映像ソフトが出ているものはほぼ観ていますが、
内戦や貧困を描いた作品が多い上、
映像や編集、音声にも独特の癖があって、
私は少し苦手でした。
本作にも彼ららしいタッチは見られるし、
脇役に配された常連俳優たち、
撮影のジュゼッペ・ランチや音楽のニコラ・ピオヴァーニなど、
やはりタヴィアーニ組の製作という印象は変わりません。
しかし原作物である本作は、コスチューム劇である事も含め、より職人的スキルに負う所の大きい映画。
豪華キャストを起用し、文豪の原作を元にしつつも、
彼らの美点である、
視覚的に美しく壮大な背景、
そして写実的であると同時に寓話的でもある人物描写が、
ここでは追い風となっています。
ミニマムなものと広大なもの、
皮相なものと深遠なものが、
ここでは全く見事に同居しているのです。
確かに前半部は、絢爛たる美術や衣装で見せる文芸ロマンの様相を呈します。
しかし、冒頭の花びらの描写(これぞミニマムで個人的なシーンです)で既にほのめかされているように、
後半は正にタヴィアーニ作品らしい、
厳しい自然に抱かれた質素な生活へと、
映像もドラマも収斂してゆきます。
それで、映画が尻すぼみにトーンダウンしてゆくかというと、
それがまったく逆で、
むしろ、より荘厳さと深々とした美しさを増してゆくのが、この映画の凄さなのです。
映画は次第に、世俗的な世界から純化した世界へと変わりゆき、
それと比例して、背景を成す精神も、
雑念の多い混濁した意識から、清浄に澄み切った意識へと移行してゆきます。
修道士となったセルジョを、
宮廷人だった彼の過去は放っておいてくれません。
心の平安は思うように得られず、
しかし、それらの雑音と彼がどう対峙し、どう乗り越えてゆくのか、
ぜひ見届けて欲しいです。
それっぽい文芸大作の数々に埋もれて欲しくない、まさに隠れた傑作。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
(尚、見出しの写真は全てイメージで、映画本編の画像ではありません)