隠れた傑作、これいかに? 第1回「序文」
記事をお読みいただき、誠にありがとうございます。
別のマガジン「これ観てみ!忘れられたマイナー映画たち」で、
DVD、ブルーレイ化されていない作品を一方的に推しておりますが、
本稿はそれと、似ているようで少し違う類似企画です。
こちらでは、
DVD等で観る事はできるものの、
あまり注目されなかったり、不当に低い評価をされたりで、
忘れられた格好になっている映画を取り上げました。
なので、人によっては「これがマイナー映画?」と感じるものもあるかもしれません。
ただただ、個人的に応援の意味も込めてご紹介しております。
私が“優れている”と感じる作品の条件は、実に単純明快です。
技術的、芸術的なクオリティや、志の高さは勿論ですが、
例えばアキ・カウリスマキやエリック・ロメール監督の作品などは、
むしろ技術的に高度ではない事、洗練されていない事が一つのスタイルになっていたりします。
最も大事なのは、「愛情を込めて、隅々まで丁寧に作られていること」、
それから「登場人物と観客に対して(悪い意味での)ごまかしがないこと」でしょうか。
つまり、
シチュエーションをある状態に持ってゆくために、
人物の自然な感情に逆らって無理な作劇を施したり、
ヒットを狙うという安易な打算のために、
物語や人物を既成の鋳型や陳腐な方程式に当てはめたりしないという事。
岩井俊二監督の言う通り、「キャラクターが借り物じゃだめでしょ」という事です。
日本でもハリウッドでも、
この種の過ちを犯す作品が非常に多く製作されているように思います。
商業主義の風潮によって、
映画産業自体が崩壊の危機に瀕しているようにすら見受けられますが、
それは、一握りの良識ある映画人達と、
将来登場してくるであろう人達に未来を託す他ないのかもしれません。
これは「昔は良かった」的なノスタルジーではなく、
近年でも、例えば長澤雅彦やウォン・カーウァイの作品群、
ジェイソン・ライトマンの『JUNO/ジュノ』、
デヴィッド・O・ラッセルの『世界に一つのプレイブック』など、
ステレオタイプに頼らない映画は、少数とはいえコンスタントに作られています。
これらの作品の多くは、
特殊な事件や異常な出来事が起こる訳ではありません。
結局、人間の数だけドラマがあり、
キャラクターを丁寧に掘り下げれば物語は無限に作れるという優れた見本なのです。
ここで取り上げる作品はどれも、
登場人物と観客への愛にあふれた、珠玉の映画。
このコーナーが、微力ながら少しでも再評価の一助となれる事を祈ります。