戦争と、不確実性と、ティール組織
はじめに
最近、『戦争という仕事』という本を読んでいる。
1ページ1ページの内容が、日々の我々の活動、仕事、姿勢と、世の中とのつながりに関する示唆に富んでいて、自分がどの対象に対して、なぜ、どのように働きかけるか、ということに関して考えさせることが多い。
今回は、この本のなかのある文章の引用をベースとして、世の中一般の「不確実性」に関する見方、そして、それらと「ティール組織」とを結びつけ、私も仲間とともに実践しているティール組織に関する、1つの論理的な帰結(ティール組織が、歴史的に見ても時代の趨勢を反映した上で成立することが合理的であること)を導く。
本からの引用
『戦争という仕事』のなかで、かの有名なクラウゼヴィッツの『戦争論』からの引用をもとに、議論/問いかけが展開されている箇所がある。
その『戦争論』からの引用箇所が下記。
戦争とはわれわれの意志の実現を敵に強制する暴力行為である
敵の抵抗力を奪うことが戦争の目的である
人間は確実性に引きつけられる一面と、不確実さにひかれていく一面とを持っている。不確実性の世界では、偶然にさらされることに人間は可能性を感じとる。勇気、地震、冒険が人々の規範になり、ここでは大胆も無鉄砲も正当に評価されなければならない。この世界にいると、人間はそれが普通の世界のように思えてくる
また、『戦争という仕事』のなかで上記が引用されているのと同じセクションにおいて、下記のことが書いてある。
現代の戦争では、「敵」の社会に内蔵された歴史の破壊、記憶の破壊、文化の破壊といったことが、目的にすえられるようになった。異文化を破壊し、「敵」の文化を自分たちに同化させることをとおして、自分たちが中心にいられる世界システムをつくりだす。
ここから、上記を読んだ上での自分の考え、仮説を展開していく。そのなかのキーワードとして、「①戦争」、「②不確実性」、「③ティール組織」について述べる。
①戦争について
上記の引用をもとに、下記の仮説を立てる。
仮説:
自分たちが中心にいられる世界システムを作ろうとする人は、不確実性に対して怯えている。
その不確実性に対する不安の解決方法として、自分たちの価値観が通用する場所・土地拡げるために、戦争という手段を使って攻めることとしている。
この仮説が真だとすると、対偶としては、下記が成立する。
不確実性に対して怯えていない人は、自分たちが中心にいられる世界システムをつくろうとはしない。
自分たちにとっての正義が唯一絶対だと想定すると、別の正義をもとにそう考える別の人たちがいると、それらの人たちは対立することとなる。互いに、自分たちの正義を相手に強制するという発想を持つこととなる。これは、自分たちが考えていることが唯一の正義だとすると、相手が考えていることは間違いであるという見方となるためである。
言い換えると、自分たちが唯一絶対のこととして信じているものがあるにも関わらず、他の唯一絶対があるとすると、全社の唯一絶対は成立し得ないこととなる。そのため、他のほうを改めさせるという論理で、信じることを塗り替えさせるために戦争という手段を用いることとなる。
これに対して、自分たちが唯一絶対であると考えない人々は、自分たちが信じることがあったとしても、他の考えを認めるという余地を持つこととなる。そしてその他の考えをもつ人々も同様であるとすると、お互いがお互いのことを認めるという余地を持ち合うこととなる。
このとき、自分たちが信じること以外にも他の人が信じることがあると、それらが統合されない限りは、常に自分たちの信じることが不安定で、極端に言えば消滅する可能性があることを受け入れなければいけなくなる。
この消滅する可能性とは、将来が定まらないことと同義であり、それは不確実性と言い換えることができる。
②不確実性について
この世の中の将来が、確実なものなのかそうでないかは、神様がいるかどうかの証明と同じく、どちらであることも証明できない。(神様がいることの証明も、神様がいないことの証明も、どちらもできない。)
そのため、この世の中の将来が確実かどうかというのは、それぞれの個人や組織が信念として持つこととなる。例えば多くの宗教は、神様がいることを信念として持つことを共通項として発展してきた。
また、この神様がいるかどうかの証明ができないということ自体、本来は私自身の考えでしかない。つまり、神様がいることもいないことも証明不可能ということが私の信念である。
そのうえで、ある人がその人の信念として、神様がいるということを自分にとっての真実として扱うこととなると、その人にとっては、神様がいるということが心と生活の拠り所となる。このとき、その人は「神様はいないかもしれない」ということの不確実性を排除することができている状態となるためである。
人間の性質として、確実性に引きつけられる一面があることを最初に引用したが、その人は現在も将来も「神様がいること」という「確実性」に引きつけられているのである。
ここで、一般的な階層型の構造が形式的にも実質的にも支配的な組織(日本の多くの営利企業)においては、通常は「予測と管理」というロジックが支配的となることが多い。
「予測と管理」のロジックの前提は、将来に対しての(多くの場合は数値に落とし込まれるものも含め)予測は可能であるということである。
将来に関する確実性を抽出し、それを自組織の大小の数値と行動に計画として落とし込むことで策定されるのが、一般的な「予算」である。(予め算定する、という表現そのもの。)
「予測と管理」のロジックは、将来に対するパターンを現時点で全て認識できるという前提をもとに成立しているため、その前提が間違っている場合(パターン認識が間違っている場合、および想定外のパターンが出てくる場合)は、論理的に、「予測」が間違いとなり、またその「予測」を前提とした「管理」も間違うこととなる。
これに対する対策としては、2つの方法が考えられる。
1つは、「予測」の精度を改善することである。この方法においては、将来は予測できるものであるという前提自体は変わらず、その将来予測自体の精度をあげること、また、その予測を自組織での管理に落とし込む精度を上げることとなる。
もう1つは、「予測」をしないことである。この方法においては、将来は予測できるものであるという前提自体を崩し、将来は(少なくとも完全には)予測できないものとして、外部環境や自組織を捉えることとなる。
③ティール組織について
ティール組織についての解説をはじめると、延々と長くなってしまうため、ここでは簡単に「進化する組織」として表現しておく。ここでいう「進化する」ということは、外部環境や内部環境の変化に動態的に適応できることを意味し、それを組織単位(複数人単位)で実現できる組織形態の総称として、「ティール組織」というものが成立すると理解しておく。
ここで、外部環境や内部環境の変化に動態的に適応できるようにするためには、今定まっているように見えるもの、例えば自分の働き方や経済環境や日本の治安の良さといったものに対して、それらが変わる余地があることを常に認めなければいけない。
そしてその変わる余地というのは、唯一の変化の方向を持っているということではなく(唯一の変化の方向があるのであればそれは確実性となる)、複数のパターンがあり得るということである。そしてそのパターンも、全てのパターンを選択肢として可視化できる(想定できる)とは考えず、他の様々な要因が作用することによって想定し得ないことが起こる可能性があると考える。
想定し得ないもののそのまま受け入れるということは、不確実性を受け入れることに他ならない。
つまり、ティール組織は、不確実性を受け入れる組織モデルとなる。
①②③のまとめ
①戦争においては、「不確実性に対して怯えていない人は、自分たちが中心にいられる世界システムをつくろうとはしない」という仮説を立てた。
②不確実性においては、自分が何をどこまで知覚できると認識するかの前提の考え方について、最終的には何を信念として持つかということについて述べた。
③ティール組織においては、進化する組織は、不確実性を受け入れる組織であることを導いた。
①~③を通して考えることで、下記の総括を導く。
総括
自分たち以外の考え方・信念が世の中にあると正面から認め、そしてその自分たち以外の信念とこの世の中で共存していくことを受け入れる姿勢をもつこと。(=①)
また、将来は不確実であるということを自分たちの信念として持つこと。(=②)。
この姿勢と信念を通して、自分たちが日々手を付けられる範囲で誠実に考えていくと、自組織を進化するものとして捉えることが自ずと合理的となり、それが具現化された組織運営モデルこそ、ティール組織であるということが理解できる。
ちなみに
ティール組織における非常に重要なエッセンスとして、「各個人が意思決定権限と責任を持つ」ということもあり、それは今回記述したこととも密接に関連しているが、今回は特に「不確実性に関する見方」という観点からある程度絞って記述することとした。
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