2023年の勝手にテクノロジー予想②
<AIで遊ぶ人とそうでない人の2極化>
まだ、自分で使用しようとしないとAIに触れる機会は少ないのが現状だと思います。
ただ、自分の行動、自分の周りの少数の人の行動とは関係なく勝手に走り出して構築される、いわゆる外部環境の変化として、2022年はChatGPTというツールが急速に使われ出しました。
具体的には、リリースからたったの5日間で100万人のユーザーに使われたツールとなり、特にTwitter界隈では話題になりましたね。
そこで見渡してみてください。自分含め。
ChatGPTが話題になってるな~。Twitterで数日連続で見かけるな~。使ってみようかな~。でも後でPC開いた時でいいかな~。
といって、後回しにしてからどうしてますか?結局触ってますか?
ご自身は触りましたか?
周りの人(家族、隣の家の人、会社の仲間、LinkedInの繋がりの人)で触ってみている感じがする人っていますか?
そして拡大して考えてみるとどうですかね?世の中の「IT企業」にいる人の具体的にどれくらいの割合・人数が実際に触ってみてサクッと遊んでみていると思いますか?簡単にフェルミ推定してみるとどうですか?
正直、私はM&AクラウドというIT企業・金融企業にいますが、世の中のアナログなアドバイザリー業務より幾分は情報通信技術や自動化ツールを使いこなしているとはいえ、ChatGPTを使って遊んでいるアドバイザーは2割もいないと思います。1割か、もしくは私以外は全くいないかもしれません。
これは私の優越コンプレックスのためではなく、単純に触った人がいるかどうかというファクトについてです。触るかどうかは各人が好奇心とコンテキスト理解に基づいて勝手にすればいいです。
最近発見したことですが、かの有名な大前研一さんによると、人間が変わる方法が3つしかないそうです。
先人の言っていることを引用すると、
時間配分を変える
住む場所を変える
付き合う人を変える
の3つが人間が変わる方法で、一番アテにならないこと・無意味なことは、
決意を新たにする
ことのようです。
この方法論が有用なのかは知りません。理論化されているわけでもないでしょう。サイエンスされているわけではないでしょう。
でも、まずは飲み込んで姿勢として、変えるのもありだと思っています。
具体的には、ChatGPTなどの新ツールに関する情報感度が高くてフットワーク軽くサクッと遊んじゃう人と付き合ったら、「自分も触ってみよ」ってなると思いませんか?起業する人ばっかりの集団からは起業家が生まれやすいのと同じ構造です。
ちなみに、私自身は、誰しもが変わるのが良いと言っているわけではないです。無駄な苦労があると言っているわけでもにないです。遊んでみよう、という小さい提案です。
変わる、というのも、何についてなのかがふわっとしていると変わったかどうかもわからないので。
そして、
「ミーハーになれ」
「流行を追え」
「時代を先取りしろ」
とか言いたいわけではないです。別に私が乗り遅れようが追えなかろうが、あなたが乗り遅れようが追えなかろうが、誰も気にしません。
ここで私が主張したいのは、「それを使ったほうが生きやすくなる可能性があるツールに開放的になる」ことが良いのでは、ということです。要は、AIという巨人の肩に乗るかどうか。
ゼロベースで考えること自体は人間のほうが得意な感じはします。ゼロベースと言うのは、極に意図的に振り切って出発して理論を作るとか始めるとかです。
一方、世の中にあるメディアやら論文やらブログやらレポートやら動画やらTweetやらの情報をキュレートし、自分が投げかけた質問に対して、これまで蓄積された情報から線形に予測して答えを出すことに関してはAIのほうが比較にならないくらい早いし、英語のほうが文法として日本語よりも自然言語処理がしやすいとはいえ日本語でも違和感のないAIの答えと翻訳精度になってきています。DeepLでTRADING ECONOMICSのサイトの記事を日本語訳して読むのを数ヶ月前に始めましたが、95%くらいは違和感のない英語→日本語の翻訳になっています。
で、私の周りでいういと、使っていない人が大半。これは、私自身が選んでいる、
・時間配分
・住む場所
・付き合う人
の結果としてそうなっています。これをまずは真正面から受け止めます。そしてメタ認知してもそこから変わらないとしたら、自分に裁量があるのに選択を変えていないので完全に自己責任。
少しだけビジネスライクな話をすると、ChatGPTがサクッと答えてくれることに自分が悶々として答えを出せないのであれば、ChatGPTを使ってサクッと「あ、そういうことね」と突き進む人との差、特に生産性の差は圧倒的に拡大します。
考えることをサボれ、というのではなく、地頭を鍛えてリテラシー(検索リテラシー、研究リテラシー、理解リテラシー)を上げた上でなら、その差は更に広まっていきます。
本質的な「知恵」は時間をかけて育んでいくものだと現時点では理解していますが、知恵は血肉になって初めて自分にとって価値がある状態になるのであれば、その「知恵の育み」は今後も価値が維持されていくと思われます。
知恵を育みつつ、使えるものは使い倒す、という姿勢ですね。
私は「結果を出す」とか「成果を出す」とかっていう、果実に関するミッションドリブン志向はあまり強くないのですが、そのような志向性のある方は、どこまでも果実に対してドライに、howは自己満足的に選ばずにChatGPTとかを使うとラクになりそうなニオイがプンプンします。もう使っている人は使ってるか。
最後に、人間性としてインダクション(帰納)もディダクション(演繹)もそれぞれAIと機械学習/ビッグデータが得意なものとして人間の代わりこなすようになると考えています。
そのとき、人間性として残るのはアブダクションなのではと考えています。あぶだくしょん。日本語だと推論が近い意味合いですが、閃きとか直感的な類推とかっていう領域ですね。
まとめると、今回のテクノロジーテーマについては下記の2点を予想します。
巨人の肩に乗っかる開放性の高さとフットワークの軽さの価値が、ビジネス的な生産性の観点でも飛躍的に向上
インダクション(帰納)もディダクション(演繹)という主にホワイトカラーが担ってきた活動の価値がめちゃくちゃ下がり、アブダクションが人間性・個性の発揮場所として残る
2023年の私の勝手なテクノロジー予想の第2弾は以上になります。
ご覧いただきありがとうございます。
P.S.
ちなみに私のライフワークは「人と循環を科学し、人間性を支える社会システムをつくること」で、どうやって人間性を支えるのか、人間性とは具体的に何か、人間性は動学的に且つ歴史的にどのように変化/不変なのか、といった観点は常に持つようにしています。
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