本を買うかどうか ~読む時間を考えているか~


本屋とかブックオフとかで本を見て回ってパラパラ見ていて、最終的に所有するかどうかの判断のときに、「所有したいか」「価格はいくらか」ということを検討することはよくあると思う。

というか上記2つの検討が最初にあってほとんどの判断が決まっているのではないか。


最終的にその本を買って帰っても、その本を読むとは限らない。これは、買ったら満足した、という感覚であったり、本棚に並べてあるから自分の血肉になって満足した、という感覚(錯覚)をもって終わることも多いだろう。(自分も結構これがある・・・)


上記までは非常に多くの方が経験しているものだと思うのだが、上記全てに優先して検討すべきことがあると考えている。

それは、「その本を読む時間はいくらか」ということだ。


本にはいくつも種類があり、小説などの物語であったり、ビジネスのハウツー系だったり、心理学だったりすると思う。

それらによって、得たい体験や知恵は異なってくるはずだが、知恵や知識を得るのはなるべく短時間で読んで(さらって)自分の血肉とするかどうかの判断をすることができれば良い。対して物語といったものでは、自分の体験・感情の動きそのものに価値があることが多いため、時間をかけて読んでも良いものが多いだろう。(自分は速読はできないが、速読で物語における感情の起伏を音速で味わえるのかはわからない。)


したがって、特にハウツー系やフレームワーク系の本、即ち知識を知恵に昇華(←消化ではない)するために実行が最も重要なファクターであるものは、その本を消化(←昇華ではない)するのに必要な時間投入量は少ない方が良いといことがわかる。

だからこそ、「その本を読む時間はいくらか」を検討する必要があり、お金とは比べ物にならないほどUtilityのある時間というものという軸での検討が必要なのである。


最終的には自分の時間の価値・Utilityを決めるのは自分自身のため、自分の時間は勝手に割り当てればいいことだ。ただもし、時間を効率的に割り振りたい人であれば、ついついのんびり本を読むという多くの人が陥る行為を避けるために、立ち読みで取捨選択するとかといった作業は必要になるかもしれない。

もっといえば、本の内容というのは論文と同じで、書かれた瞬間、もしくは書かれている過程から陳腐化している確率も高い。これも本の種類や究極的には内容によるのだが、知識やフレームワークに関しては陳腐化する・している確率が非常に高い。


陳腐化している内容として例を挙げると、10~20年前のHBR(Harvard Business Review)があるだろう。その中で例えば経営学的な分析がなされたレポート・ペーパーが掲載されていたら、そのときの最先端のテクノロジーが分析されていても、現在の世界の時価総額トップ周辺の企業はほとんどがインターネット・ハイテク関係の会社であることからすると、現在の世界トップの企業が使用しているテクノロジーは格が違うわけで、最先端はもうGoogleに所属しているような専門性の極めて高いサイエンティストが切り開いていて所有しているから、情報の本当の最先端は人間が握っていることが多い。(それを発生させて優位性を築くために人の囲い込みをしているというのがもちろん原因としては大きい。)

つまりは、一次情報は人間に帰属しているということだ。


ある程度の長い時間通用する本としては、最近私が読んだ本の中では、佐藤航陽さんが書いた『お金2.0』が挙げられる。長い時間通用するとは、超長期も含めた時間軸で語っているため、将来の人間の過ごし方の方向性として合理的予測としては非常に役に立つ情報が盛り込まれている。

どんな経済フレームワークも、国家という枠組みも、現実と仮想の境目も、どんどんと変わっていくため、この本で書かれた内容も結果として間違っていたということも部分的にはあり得るが、人間の価値観の更新が行われることとテクノロジーの進化とのシンクロを体系的に捉えて言葉に落とし込んだ本としては、非常に価値が高い本だと思う。

このような本であれば、自分の今後の時間の使い方を方向転換する可能性を大いに含んでいるという意味で、時間をかけて読む価値があると私は考えている。



まとめると、本は役に立つこともそうでないこともあるから取捨選択する必要があるし、自分が得たいのが体験なのか知識なのかは多少頭に入れておく必要がある。そして何より、最先端に触れたり作るためには人に会いに行くことが最も効率的な手段である。その背景としては、インターネットの最も顕著な性質の1つは複製可能性だからであり、簡単に言えばTwitterでつぶやけばその瞬間に同じ情報を世界中の人が同じように見ることができるようなことで、同じこと・モノを作るのに限界費用が発生する製造業とはことなり情報は同じものをつくるのに限界費用が(ほとんど)発生しないということがある。

(私がよく参考にしている堀江貴文さんは、本はもうほとんど読まず、時事情報の常時チェックと人に会うことに大半の時間を割いている。)


既存の情報や仕組みや資源を新しく組み合わせるのはイノベーションの一形態だが、その一次情報を作っているのは今のところ人間である。

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