モロッコインゲンと里芋と
澤 なほ子
モロッコインゲンの蔓の伸び方がすごい。一晩で二十センチくらいは伸びる。異常な猛
暑が続いた今年の六月下旬、用事があってわたしは三日ほど畑に行けなかった。その間に
十五株から伸びた蔓は二メートルの支柱を五十センチほど超え、ふらふら揺れている。
その淡い緑色の蔓から声が聞こえてきた。
「早く、何とかしてよ! 掴まるところないじゃないの!」
そのとなりの畝では、やっと芽を出して、二、三枚の団扇ほどの葉っぱを広げた六株の
里芋が弱々しく声を上げた。
「水、水、水が欲しい…」
見ると、葉っぱの縁が黄色になって縮れている。
わたしは二十年ほど前から我が家の目の前のKさんの畑の一隅を借りて野菜を作っている。広さは十五坪ほど。 Kさんはわたしの野菜栽培の師匠でもある。
この畑に、今年も五月の連休前に夏野菜の苗を植え付けた。トマト八本、キュウリ五本、ナス五本、ピーマン二本、オクラ八本、ゴーヤ二本、万願寺唐辛子三本である。すでに
ジャガイモやレタス、春菊、パセリなどが植わっているから わたしの畑はごちゃごちゃ
でにぎやかだ。
さて、毎年植えているのに まだなのは蔓ありどじょうインゲンと里芋。インゲンの苗と
里芋の種芋はいつもKさんが「植えるか?」といって、自分で植えた余りをくれる。
里芋七株とインゲン十五株を植える場所を空けて待っているのに、今年はどうしたことか声をかけてくれない 。五月も半ばになっていた。
七十歳代半ばのKさんは朝が早い。パンチパーマのごま塩頭を手ぬぐいで包み、地下足袋
を履いて 毎朝五時半ころには畑にやって来る。わたしの畑の五倍ほどの広い畑で、今年
はカボチャだけを育てている。
いつも畑に出るのは九時過ぎのわたしだが、Kさんに会うために早起きする。Kさんは四
方八方に伸び始めたカボチャの蔓を 同じ方向に伸びるように小枝の股を使って固定して
いた。受粉や剪定、収穫の作業をやり易くするためだそうだ。
「ああ、里芋? 今年はどういうわけか大部分凍えさせちゃってな。おいらもホームセン
ターで足りない分の種芋は買ってきたのよ」
Kさんはかがめていた腰をグイと伸ばし、その腰をげんこつで叩きながらぼそぼそという。
「インゲン? それも今年はうまく発芽しなくてね 連休前に苗買ってきて植えたよ。あ
っちの畑で、里芋は芽が出てきたし、インゲンはもうこれくらいになっているよ」
Kさんはくわえタバコで、大きな左手の親指と人差し指を目一杯広げ、右手でバス通りの
向こうの畑を指差した。Kさんは、栽培している作物の種を採取して翌年それを植える。
自前の種だ。でも、いつもうまくいく訳ではないのだ。
わたしは他人を当てにしていたことを後悔しながら、Kさんに聞いた。
「今からじゃ、遅すぎるかしら」
「里芋なんてぇのは、少しくらい遅れたって平気じゃねえの 。ホームセンターではもう売
ってねぇだろうから、スーパーで買ったらどうよ」
「インゲンは?」
「う〜ん? ホームセンターで苗、まだ売ってんじゃねぇか?」
わたしがインゲンと里芋にこだわるのは訳がある。
収穫したてのインゲンは味噌汁に入れても胡麻和えにしても少し青臭さが残る。この青
臭さがわたしにはたまらない。美味しいと思う。蒸し暑い夏の夕食に、キンキンに冷やし
たビール一缶とインゲンの胡麻和えに冷やしたトマト、焼きなす、キュウリの漬物、冷奴
があれば大満足だ
インゲンは、他に、てんぷら、サラダ、炒め物の具にと色々に使える。葉物がない夏の
間、とても重宝する。
里芋はわたしでも一個の種芋から鶏卵大の子芋孫芋が三十個以上収穫できる。七株植え
れば二百個を余裕で超える 。十年ほど前、Kさんにすすめられて初めて里芋を植えた時、この収穫量の多さに驚き、感激したものだ。
それに、収穫してすぐに茹でた里芋はねっとりと柔らかい。上品な甘さがある 。買って
きた里芋では絶対に味わえない。
その上、小学生の孫息子が里芋掘りを面白がって手伝ってくれる。懸命に掘り起こす姿
や、得意そうな笑顔を見るのが嬉しい。
さて、わたしはすぐにホームセンターに走った。だが、里芋の種芋どころかインゲンの
種も苗も売っていなかった。やっぱり遅すぎたのだ。
店員さんに代わりに勧められたのがモロッコインゲンの種だった。袋には黄緑色の長く
大きく平べったい鞘の写真。わたしが欲しい、爽やかな緑の小指ほどの太さのインゲンとは違う。少しも美味しそうには見えない。でも、「柔らかくて美味!」「たくさん採れる!」と書いてある。迷ったが買って帰った。
そして、袋に書いてある注意書きを読みながら、親指の頭ほどの大きな小豆色の平べったい種を土に埋めた。
里芋もスパーマーケットで買ってきた。Kさんから分けてもらっていた種芋は、わたし
の拳ほどの大きさで、白い芽が三つも四つも覘き、湿っていてどっしりしている。それな
のに、買ってきた芋は乾いていてやっと鶏卵ほどの大きさ。いつもの七個を十個に増やして植えたが、果たしてどれだけの収穫ができるのか、いや、その前に芽が出るのか心配だった。
そして、一月半経った六月下旬。
モロッコインゲンが支柱の丈を超え 掴まるところがないと騒ぐ。その蔓を眺めながら、
わたしは反対に聞く。
「ここまで大きくなって、花も咲いて、鞘がつかないのはなんで?」
小さい白い花は十日ほど前から咲いている。
翌日、Kさんに指南を仰いでみたら、「わかんねぇ」の一言。栽培したことがないとい
う。ただ、蔓を眺めていて、「チョン切ったらどうよ。脚立に乗って収穫すんのか? 危
なっかしい」と鼻先で笑われた 。もっともな意見ではある。
ふらふら風に揺れていた蔓は、四、五本が絡み太い縄のようになって、まっすぐ空に向
かって伸び始めた。そのたくましさに見惚れてしまう。昔話の「ジャックと豆の木」を思
い起こす。このままにしておいたら、どういうことになるのか見届けたくなる 。もしかし
て、雲まで届く?
里芋には、二リットル入りのペットボトル二本に水を入れて運ぶ。焼けた小さい葉っぱ
は、水を浴びると身を震わせて喜んだ 。天気予報では明日も明後日も明々後日も晴れて猛暑という 。わたしはもう一回水を運ぼうと決める。例年なら、梅雨の間に日傘ほどの大きな葉っぱをつけるのだから。
九月になった。
里芋はやっとわたしの腰の高さほどに成長した。散歩の途中で見る他所の畑の里芋よりだ
いぶ貧弱だ。でも、一株一株に勢いが出てきた。炎暑の七月、八月、毎日夕方には水を
運んでやったし、三回も土寄せした。追加の肥料も撒いた。こんなに里芋に手を掛けたこ
とはない。その甲斐がやっと現れてきたようだ。
収穫が終わったトマトやキュウリを整理し、小松菜や水菜の種を蒔くために鍬を振るっ
ていたら、ダッダッダッとKさんが耕運機を運転してやってきた。カボチャを植えていた
畑を半時間ほどできれいに耕し終え、耕運機のエンジンを切った。
そして、運転席から大きな声で一言。
「ダメだな」
Kさんはわたしの里芋を指さしている。
「植えたのが遅かったから」とわたし。思わず抗弁するような口調になった。
Kさんはそんなわたしを無視して、タバコに火をつけながらゆったりと言った。
「白菜とブロッコリーの苗が余っているんだけどな。そこも耕して、植えたらどうよ」
つまり、里芋を引き抜けってことか? とんでもないと思う。
「せっかくここまで大きくなったのだから 十一月まで育てる」
わたしはKさんの勧めを断る 。親指の先ほどの大きさの芋ばかりでもいいと思う。
Kさんはタバコの煙をフーと空に向かって吐き出すと、耕運機を運転して次の畑に向かっ
て行った。今、ブロッコリーや白菜の苗を植えれば、クリスマスや正月に収穫できるのに、素人のバカが、と思っているに違いない。
花が咲くけれど鞘がつかなかったモロッコインゲンは、栽培方法をネットで調べてみた
ら「支柱から飛び出した蔓はカットして、脇芽を出すように」とあった。
そこで、絡み合ってたくましく空に向かって伸びている蔓に「ごめんよ」と謝りながら
ばっさり切った。ただ、一番太いのを一本だけ残した。どうなるか見届けたかったから
だ。
その切り残した蔓は、まるで目でもついているかのように、高いところにある隣家のフ
ェンスから畑に飛び出しているバラの枝を目指して伸びていった。
「あと五センチでバラを捉える」と、思ったその日の夕方、蔓は支柱の少し上のところで
折れるように倒れてしまった。バラの枝の上にはハナミズキの枝もある。それらにつかま
りながら蔓はどこまで伸びるのか、どうなるのか、ワクワクしていたのに 残念!
蔓を切られたモロッッコインゲンたちは、脇芽を出し、白い花をたくさんつけ、二十セン
チほどの、すらりと伸びた平たい鞘を実らせた 。
それらは七月から八月の初めにかけて、味噌汁や炒め物など毎日食卓にのぼり、それでも消費しきれず冷凍するほど収穫できた。種の袋に書いてあった「柔らかく、たくさん採れる」は本当だった。「美味しい」は人それぞれだろう。わたしは普通のインゲンが良い。
八月のお盆を過ぎた頃から、モロッコインゲンの葉は黄ばみ初め、鞘も短く、ねじれたの
が少ししか収穫できなくなった。支柱やネットに絡みついた蔓を剥がし、片付ける 。
晴れた日が続いた十一月初旬の休日、里芋の収穫をする。
収穫に孫を誘ったら見事に断られた。友達と遊ぶ約束をしているという。ひとりの寂しい芋掘りになった。
収穫量は六株で八十個ほど。子芋ばかりで孫芋が付いていなかった。その子芋もピンポ
ン球ほどの大きさがほとんどだった。それでも時期遅れに植えた貧弱な種芋が酷暑の続く日々を耐えて、よくもこれほどまでにと、わたしは大満足だった。
野菜は育ててみると、いろいろなことに出会う。それが楽しく面白い。