野球紀行/孤高の野球場 ~愛鷹球場~
野球関連のサイトをはじめてしばらくして、「野球場自体が好きだ」という人が結構多い事を知った。しかも中々間口が広く、その好みや志向も様々であるという事実に、ひとつの世界を確立しているジャンルであるという感触も持った。もっとも世の中には建築マニアという人達が数多くいて、野球場も建造物である以上当然の事なのだが。
僕はどうかというと、「掘下げ式の野球場」が好きだったりする。まず、美しいから。代表的なのは西武ライオンズ球場だろうか。あと、合理的だから。予備知識なしに訪れた野球場が掘下げ式だったりすると、「コレクションが増えた」ような気分になる。
合理的というのは、地形を活かすという事。言い換えれば、地形に逆らわないという事。そもそも「建物」の要素が少ないので、老朽化も比較的問題にならない。
高地のスタジアムなら、そういう構造にしやすい。緑のフィールドが地上と地続きである快感、開放感。愛鷹球場は、周囲の景観も合わせ「美しい野球場」のベストいくつかに僕が推している一つだ。
さて高校野球とは、とても身近な存在である。プロ野球は限られた地域にしかないが、高校野球はどこにでもある。高校野球が行われている状況を思い浮かべると、まず「人里」が前提になる。それを思うと、公園自体と自動販売機以外「人里」にあるものは何もなく、山間に靄がかかり駿河湾の方角が雲の絨毯のようなこの静寂に満ちた場所での高校野球は、ウルム大聖堂でカラオケ大会をするような背徳の香り(?)を感じさせる。山間の静かなスタジアムが、「天上」と「俗世」を結びつける媒体になっている...などと自分でもよくわからない賛辞を送りたくなる。
静岡県の高校野球を観戦するのははじめてだ。一回戦、下田北と藤枝西。灰色の空が近づき、湿った熱さが身を包む。「街」にあるものは無い。一回戦という事もあり観客はまばら。高校野球のイメージは突き抜ける青空と歓声。それらとは色々と逆を行く。野球というよりは「果し合い」でも始まりそうな靄の中。一回戦らしからぬ速球が白い空気を切り裂く。下田北のエースは小田という右のスリークォーター。打者とマウンドの中間からスッと伸びてくるようなストレート。「キレがある」という事だろう。微妙にスピードを落としながら、最後は内角のスローボールを見送り、四番打者は三振。速球から入り、相手の気持ちが前に出てきたら今度は引く。野球には一見合わない静けさが、投手と打者の「一対一のやりとり」を浮かび上がらせる。
野球は投手と打者の「やりとり」を軸に展開する。それがなければ何も始まらない。だから本来はもっと「静かな」競技なのかもしれない。応援団らしき生徒が音を出して声援を送っている筈だが、心なしか遠くに聞こえる。「音」が影を潜めると、選手の表情とか心理とか、そういうものが見えやすくなる。僕は乱打線を「壊れた試合」と心の中では言っている。投手の「我」がなくなっているからだ。大音量の応援というのは、その象徴というか、それを促進しているように思えてしまう。
その点、適度に静かで投手がキッチリ仕事をしている今日の試合は心地良い。先に点を取ったのは三回表の藤枝西で、二死一塁でのタイムリーは二番セカンド吉田だった。レフト線ギリギリに飛んだ打球を追うレフト小出。必死のキャッチもあえなくポロリ。これがフェアグラウンド内だったというわけだが、どう判断できようとここは必死で打球を追うしかない。しかし純粋に必死で追ったのか、切れそうだと思いながら追ったのか。そんな選手の心理を色々と察する面白さに、今日の試合とこの野球場は理解を示してくれている気がする。
藤枝西の投手は右の上野。特に目立つ特徴はわからなかったが、小田同様、抑えていた。しかし味方が1点先制の裏、2安打で早速追いつかれた。ぼちぼち快心の当たりが出はじめ、心なしか靄が晴れてきたような。そんな筈はないのだが、なんだかゲームのテンションが空気と連動しているような暗示にかかっているみたいだ。最初は1対1の果し合いが、いざ靄が晴れると、実は2人にはそれぞれ多数の味方が付いていた...みたいな。
最初に加勢したのは藤枝西。五番實石が一死からセンター前ヒット。続く上野はバントの構え。ここはバントだろう、高校野球だし。それは根拠のない思い込み。レフト前ヒット。七番油井ショートゴロ。これをゲッツーできず一、三塁。八番古木左方向へヒット。レフトが転んで二塁へ。1点。相手が動揺している時の初球狙いは効く。九番野上、捕手が低目に構えたところに高目が。強打、また1点。色々やられて小田、動揺したか。この辺は高校野球っぽい。続く四回もバント、スクイズと揺さぶられるもかろうじてしのいだ。
そのイニングで急に逞しくなったか小田、初球叩いて三塁線を抜く二塁打。自ら鬱憤を晴らす。七番高橋バントの後、続く後藤はオープンスタンスでイチローのようにタイミングを取る。小田スタートしかけ、後藤空振り。これはエンドラン失敗か。警戒したバッテリーは高目に。これを後藤強引にスクイズ。機転と根性で1点。これが五回裏。
スタンドから「うまい!」の声。自分以外に観客がいる事に気付く。靄で周りが少しだけ見えなくなるだけで、ずいぶんと意識がゲームに入っていくものらしい。と言うかそれだけのゲームはやっている。特にどちらを応援するでもないゲームには無意識に「延長十ン回の熱戦」を期待してしまう。野球ファンにも「試合時間の長さ」には否定的な人が多いが、同点という理由で長くなる分にはOK...という人は野球の本質的なところが好きなのだと思う。代打中山の犠牲フライで同点。いいぞ六回裏。
円陣を組んで気合を入れる下田北。「ピッチャー球威大した事ない!」とヤジ。「みんな盛り上げていこうぜ~」と応援団。紛れもない高校野球の光景が、現実に引き戻そうとする。
周りの声を聞くと、当たり前だが普通に野球の話。「内野のエラーがないね。天気がこれだから。カンカン照りだとたまらん」確かに。カンカン照りこそが高校野球のイメージ。しかし今日の「ぬめり」こそがゲームを引き締めている気もする。代打中山の犠牲フライで六回裏、下田北ついに同点。以後は山の精霊にでも制御されているかのように、塁間に結界でも張られたかのように、走者が回らない。ついに延長。やった!
何がやったのかというと、長いゲームが好きだという事ではく、得をした気分になるのだ。ゲームとは開始と共に始まり、終了と共に終わる極めて短命な「生き物」だと思う。その姿が希少で美しいものほど、つまり熱いゲームであるほどそれに遭遇する価値も高まる。それに、延長戦にはダレたところがない。どんな下手なチームも逞しく見える。そんな不思議な魅力がある。
まだ晴れない靄の中でエール交換。山の中に木霊する。そんな中でも負けた側の悔恨はよく見える。下田北の一番黒澤の打球は静けさにそぐわぬ悲鳴と靄を切り裂き、レフトへ飛んだ。それまで慎重なまでにスロー主体だった上野の速球が甘く入った。なまじ速球に自信があって、焦ったのだろうか。
沼津の街に降りると、あの静けさとは違う、普通の暑い夏だった。何かの導きでもないかぎり、あの場所であの試合には出会えなかったかもしれない。実は今日は、茅ヶ崎で軟式の予選を観るつもりだった。しかしスケジュールの確認違いで試合はやっておらず、急遽予定変更。候補は藤沢か沼津で、先に電車が来た方に行く事にした。それで先に来たのは藤沢方面。しかしだいぶ混んでいたので結局沼津に。そんな経緯を思うと、やはり「導き」だったような気もする。(2005.7)
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