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野球紀行/企業城下町伝統の野球大会 ~日立市民球場~
常陸多賀駅のバス停に年配者3人。野球の話をしているようだが、だんだんと話題が清原に移ってきた。
「清原は駄目だね。代打でも三振ばかりしてる」
「清原は日ハムにでも行って、東京ドームを満員にしてやればいいんだよ」
いらん。今の清原がファイターズに来ても、ポジションは空いてない。
「でも日ハムはオバンドーとか、打つ方がいいからねえ」
わかっているではないか。この「巨人以外の情報閉鎖社会」でよくオバンドーの名が出てきたものである。濃い目の野球ファンと見た。しかもこの日の日立市であれば、行き先は僕と同じだろう。
日立市民球場の狭いスタンドに入ってみて驚く。客層のほとんどがさっきの三人組と同じ「おじさん」なのである。しかも、ひまさえあれば野球ばかり見ていそうな。渋い。あまりにも渋すぎる客層だ。もっとも今日の試合を考えると、客層が渋いのも納得なのだが。
日立市は言わずと知れた日立製作所の企業城下町。日立製作所は社会人の強豪。その縁かどうかわからないが、日立市では「日立市長杯野球大会」というものが毎年この時期に行われ、今年で24回目を迎える。
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この大会は「地方大会」という位置付けだが、社会人野球の全国大会と地方大会の厳密な違いはよくわからない。都市対抗と日本選手権ははっきり全国大会とわかるものだが、それ以外はこの日立市長杯との違いをあまり感じない。規模が全国レベルなのが全国大会で、地域に偏っているのが地方大会だろうか。そのくらいの違いは感じないこともないが、出場チームを見ていると、確かに全国大会は全国レベルのチームで固められており、地方大会はあまり聞いたことのないチームが多い。全国大会と地方大会の違いの基準をその辺に置くとわかりやすい気もするが、この日立市長杯の出場チームを見ると驚く。
日立製作所はもちろん、新日鐵君津、いすゞ自動車、プリンスホテル、日本生命といった強豪が揃う。知らないチームはない。この小ぢんまりした大会によくこれだけのチームが揃ったものである。考えてみれば凄いことで、実質的には都市対抗と変わらない顔ぶれなのだ。しかし何度も言うように野球はマイナーな競技。いくら強豪が集まってもメディアの扱いが小さければ「わかっている」人しか来ない。客層の渋さも合点が行くのである。
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淋しい気もするが、知られざる「プレ都市対抗」を楽しめるのも「わかっている」者の特権と思えば良い。しかしやっぱりドームではない事をこれからわずか数分後に思い知らされる。
第一試合では日本生命が鷺宮製作所を大差で破り、いよいよ第二試合、地元の日立製作所が三菱自動車岡崎と対戦というところ。地元のチーム登場という事で多少テンションが上がってくる。しかし、第一試合の終わり頃からやたらと風が強くなっていた。
「キャッチャー、ふく、くく、くく福川」となぜかどもるウグイス嬢に地方大会の趣を感じながら試合を楽しむ。日立の遠藤はストレートでグイグイ押すが、割と簡単に打たれ、一回に早くも4点を献上。しかし多くは日立の味方だろうし、これから追い上げて「もらい盛り上がり」をするには丁度いい点差とも思えた。二回表、これから反撃という矢先...。
おりしもこの日の天気予報は、関東はおおむね晴れ。東北も晴れ。しかし「水戸」だけに傘のマークがついていた。「水戸」だけが、である。そんなドリフのコントみたいな予報が当たってたまるか、とここまでは思っていたのだが、回りの空が明るいまま、ここだけ確かに、いきなり降ってきたのだ。風はちゃんとその前触れだったのである。
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一気に屋根の下に逃げる客。狭いコンコースはたちまち一杯になる。回りの空が明るいので、この時はまだ「そのうち止むだろう」と誰もが思っていただろう。屋根の下でグラウンドを睨む者、空を見上げる者。なぜか日本生命の選手まで一緒に屋根の下にいた。
なまじ遠くの空が明るいため、簡単に諦めがつかない。しかし雨は一層強く屋根を叩きつける。バスはすぐ近くにあるのに、またバス停も近くなのに、選手も観客も、誰も身動きが取れない。観客の一人が日本生命の選手に話しかけていた。「あの、今日は杉浦さんは来ていますか?もし良かったらサインをいただきたいのですが」
杉浦はたぶんバスの中にいるだろうと言う。その会話を聞いて僕は一気に緊張した。シドニー五輪日本代表のリーダー・ミスターアマチュア野球杉浦正則が、場合によってはこの地方球場でファンと一緒に雨宿りをしていたかもしれないのである。そう考えるとこれも恵みの雨だ。しかし恵み程度に願いたいのだが、辺りを見ると何か白い粒が散らばっている。何かと思って触ってみると冷たい。雹だ。ここまで来ると呆れるしかない。すでにグラウンドは干潟状態。芝生の線すらわからなくなっていた。誰かが「こりゃ、今日は駄目だな」とつぶやいた。
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こりゃ駄目だと口では言いながら、雨が上がっても誰も球場を離れようとしない。やっぱり「まだ、やるんじゃないか」という期待が心の隅に残っているのだ。仕切る側も、やりたいと思っている。どんなに激しい雨にやられても、じっとやり過ごし、再開の機会を伺う。文字通り野球を「支える」人達の姿がそこにある。
この水溜りをどうやって再生するのか?ちょっと興味があったが、別に特別な事をするわけでもない。まずスポンジをばら撒き、水を吸い上げる。地道な作業である。僕が普段見ている野球は、この位グラウンドがやられるとあっさり中止になる。しかしそんな状態からまだ試合をやろうというのは初めて見る。だから興味深々で、彼らの作業を見守る。
雨上がりの日差しも手伝って、少しづつ状態は回復していき、選手も観客もさっきまでの表情を取り戻してくる。水を吸ったスポンジを除き、新しい物と取り換える。その繰り返しだ。その合間、ようやく乾いた内野スタンドに腰掛ける選手が客席の様子を見ながら「あの女の子、さっき」云々と喋っている。一時の休息である。
グラウンドのぬかるみをチェックしながら、新しい土を蒔き、なんとかコンディションを整えていく。ここはOK、ここは駄目...。芝生の切れ目がわかるまでになってきた。
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「試合再開は2時からです」とうとうこのアナウンスを引きずり出した。まだ1時間以上あるが、その間にグラウンドの方は何とかなるだろう。誰も口には出さないが、安堵の表情を見せる。グラウンドに選手が戻ってきた。感触を確かめながら、キャッチボールをはじめる。さて僕はどうしようか、食事でも済ませておこうか。
とにかくまだ試合をやろうという意思が、春の穏やかな空気の中にみなぎっている。だから何もしなくても退屈はしない。別にこのままでいいか。そんな安堵の時をまた雲が覆った。
建設は死闘、破壊は一瞬。グラウンドを再生していた人達の苦労をあざ笑うかのように容赦なく雨は再びグラウンドを干潟にしていく。さすがに抵抗する気力もないのか、こんどは正式に中止のアナウンスが...。
雨は必要。でも嫌いだ。特に野球者としては今までに何度も雨には泣かされてきた。その雨に何とか抵抗しようとした人達の意気に(日程は順調に消化したいだろうし)触れられた事、これだけは無形の収穫だったように思う。ただ、そのまま降りつづけていれば諦めがついたろうに、また雨が上がり、その日はそのまま晴れ続けたのだった。
野球場ではもう一つの闘いがある。(2000.4)
[追記]
三菱自動車岡崎・福川将和は後にドラフト5位でヤクルトに入団。当時古田監督に見いだされた米野智人と激しく正捕手の座を争った(譲りあっているようにも見えた)。私は正にこの試合で福川を知ったので(活躍はよく覚えていない)、ヤクルトの試合で最初に福川を見た時「あの福川か」と思い出すと同時に「キャッチャー、ふく、くく、くく福川」の名アナウンスが脳裏によみがえるのだった。