マジョリティもマイノリティも結局どちらも胡散臭いと思う話
みんなが賛同するから、そんな理由で多数派、マジョリティを選択する人たちがいる。
みんなと歩を合わせておけば安心なだけで物事の本質を見ていなさそう、多数決なんて数の暴力だ、少数派のマイノリティな人たちが吠える。
少数派な人の思考回路は数が少ないことへの同情心のようにも見える。
皆が賛同しなくても自分だけはわかってあげている、皆からわかってもらえない人たちへの擁護的な同情心。
少数派の気持ちを少数意見だからと見限るなんて数の暴力だ、そう言いながら自分は少数派、マイノリティであると公言する。
そこで私は気付いた。
数が少ないから賛同する、それは数が多いから賛同する、それと同質の行為で大差ない。
結局数、数字で選んでるやん。
果たして本質を見ているのか?
サブカルな人らが胡散臭く見えてしまう理由。
メインカルチャーもみんなで渡れば怖くない的に見えて胡散臭いことが多いが、サブカルチャーも胡散臭さに大差はないなあ。
そういう私はいつも中立的だ。
売れていようが売れてなかろうが、人気があろうがなかろうが、私の感性に響けばOK、数ではなく本質を見ている私。フッ。
意識高い系ラーメンのように拘り高い私である、それが言いたかった!!フッ。
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