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3万5000回の選択

人は1日に3万5000回も選択をしているらしい。

進路選択のような大きい選択から、朝ごはんに何を食べるかみたいな小さい選択まで。
そんな選択肢の中で人は絶えず選択をし続けている。

選択肢のあることが人生を難しくすることもあれば、選択肢が人生を華やかにすることも。

毎日何を着ていくか迷うとき、ワクワクする日もあれば、面倒に感じる日もある。

そんな毎日の選択の中で、ほぼ毎回同じ選択肢を選ぶことこそが、その人・個人が長期的に続けていることを表している気がする。
言うなれば習慣。選択肢が限りなく少ない状態。
例えば、学校・仕事・練習に行くこと、食事、育児、朝起きることまでetc…

正直、学校や仕事、練習は選択肢の中からそれぞれに”行く”選択をしていると言うより、”行かざるを得ない”、”行くしか選択肢がない”ものだと考えている自分がいた。(練習に行くor練習に行く)
練習を休む選択肢はないし、仕事をサボる選択肢もない。
自分が行きたいか否かよりも、常識として、習慣として、周りの期待に応えるために、毎日・毎週同じ選択肢を選ぶことで自分の意思で選択していることへの意識がすごく低かったように感じる。

これが習慣の良さであり、同時に怖さでもある。


大きな選択

競技を長く続けていると、苦しくて立ち止まりたくなることもある。
競技者なら何度か(何度も)そんな瞬間が訪れることがあるだろう。

ついこの間も、立ち止まってしまいたくなる瞬間が少しだけあった。
頭では、下を向いている暇もないし、進みつづけなければいけないことを理解しているつもりでも、心が追いついてこない時がある。

ただ本当に”進みつづけなければいけない”のだろうか。

周りに相談すると必ずと言っていいほど
辞めるのは勿体無い。ランならできる。ここで諦めるのは違うんじゃないか。もう少し頑張ってみては?
と声をかけてもらえる。

ありがたい。期待してもらって、支えてもらって今の自分がある。

ただ、励ましの声が聞こえれば聞こえるほど、自分の中での選択肢が減っていく感覚に襲われる。

競技を続けないと。
結果を残さないと。

自分の意思ではなく、足を止める選択肢がないから進むしかない。

競技生活が続けることもできない選手もいる中で、贅沢なことを言っているのも重々理解しているが、この(自分の認識として)選択肢がない状態で進み続けるのはすごく苦しいことに最近気がついた。
もしかしたら、ずっとそうだったのかもしれない。
周りからの期待、自分自身の理想に近づくために選択肢を減らすことで、足を止めずにここまでこれた。

でもやっぱり、この先目標の場所まで走るにはこのやり方ではうまく行かない気がする。どこかで足が止まってしまいそうな気がする。

走り続けるなら、自分の意思で、自分の能動的な選択で、道を選んだほうがよっぽど楽しめる気がする。苦しくならない気がする。責任を持って進んでいける。

だからこそ、(競技者の場合はその競技をやめるor他の道)の選択肢も常に持ったうえで、自分の目標とする場所まで進んでいきたい。

選択肢がひとつではないことを忘れないこと。
それは自分が自分の意思で道を選んでいることの責任を背負うことであり、自分次第で道を選ぶことのできる自由というの特権でもある。

いってらしゃいと言われたときに、帰る場所がある、「いつでも帰っておいで」と言われてるみたいで、少しだけ安心するみたいに。
何かに挑戦しているときに、選択肢のある中で選ぶ道は、帰る場所がありながら出かけるのと同じ感覚。

逃げ道を断つことで前に進むのもひとつの選択だけれど、
長く走っていくには向いてないような気がした。

これが大きな選択をするときに忘れてはいけないことだと最近気がついた。


小さな選択は最初にも書いたように、毎日毎日何万回も繰り返される。
何万回も繰り返されるからこそ、一回の選択の重さが軽くなっていく。

習慣になって選択肢が減ってしまえば簡単なことだが、
その分選択の重要性が薄れていってしまうのも事実。

自分の理想の生き方をするには、毎回の選択を見直す必要があるのかもしれない。

何時に起きるか、何を食べるか、挨拶をするか、携帯をいじるのか自己投資の時間に使ってみるか。
もちろん、毎秒選択肢を熟考するのは難しいし、そんなに余裕はないかもしれないが、自分のために時間をかけてみる価値はあると思う。

いつか”小さな勇気を持つこと”を教わった。
小さな選択でも、欲望よりも自分の成長に繋がることを選ぶ勇気。

SNS見るより、興味のあることを学んでみる。
時間のかからない簡単な食事よりも、栄養のある食事を摂ってみる。
相手から話しかけてくるのを待たずに、自分から挨拶してみる。
帰ってダラダラしないで、すぐお風呂に入ってみる。

小さな勇気の選択で生き方が少し変わるのかもしれない。
(現に今、自分の時間を使ってこのnoteに文字を残すことができている自分の小さな勇気と選択に拍手笑)


選択をし続ける私たちは忙しい。
ただ選択肢がある私たちは自由である。

だからもし、
周りに立ち止まりそうになっている人がいたら、
立ち止まってしまいたくなっている自分自身に気がついたら、
選択肢がある”ことを伝えてあげてほしい。
自分が選べることには大いに時間をかけても良いことを伝えてほしい。

1つ1つの選択が正解・不正解はない。
選択後の行動で選択の価値が決まっていくからこそ、自分で選んだ道に責任と楽しみが増える。

もしかしたら間違えた選択をしたな〜と思うこともあるかもしれないが、
これから続く何百万回のうちのひとつにすぎない。

ただ自分でその選択肢を選んだことこそが誇るべき重要なことだと思う。

これからも競技を続ける選択をし続けるつもりだけれど、自分で選んで目標の場所に辿り着いてみたい。
10年以上選択肢なんて持ってこなかったから、簡単じゃないけど。
そのうち、選択肢をいくつか持てるくらいに自分軸で生きてみたい。

練習に行かなければない日より、練習に行きたい日の方が多くなれば。
今は半々かなー笑
自炊で栄養がある食事は”しなきゃ”よりも”したい”日の方が多い。
少しづつね。


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