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四百年の時空を散歩する

 いつもの散歩コースの途中に小さな神社がある。参道の両側は太い杉の古木(市指定保存木)に挟まれて、人気が全くない。いつでもひっそりとしている。しかし、不思議なのは、いつ行っても参道が綺麗に掃き清められていて、木の葉一枚落ちていないことだ。

参道


 今日はこの神社の祭りで、御神楽が奉納されるという。この神楽は正しくは「七代天神社十二神楽」別名「代々神楽」というもので、市の無形民俗文化財に指定されている。以前から是非とも見学したかったものだ。しかも、今年は、併せて、この神社が由来した元の久慈郡佐竹郷(現、常陸太田市)の七代天神社に伝わる「天神囃子」も奉納するという。何と、460年ぶりだそうだ。

 戦国時代に佐竹藩が出陣したときに奏したという「天神囃子」は、勇壮なもので、力強い大太鼓の響きが血潮を沸きたたせる。いかにも、これから戦に向かう武士たちを鼓舞するものだった。地元の「十二神楽」は女の子の可愛い巫女舞から始まり、洗練された仕草の「槍の舞」、そして滑稽な「餅まきの舞」の三座のみだった。これは少し寂しい。地元の人に聞いたら、「代々神楽」の「代々」とは、限られた地域の特定の家族の長男が舞を引き継ぐという意味だそうだ。これでは、長い年月の間には途絶えるのもわかる。よくぞ、三座が残ったといえるくらいだ。
「餅まきの舞」では、赤鬼と青鬼が赤白の餅を投げて配った。皆、大騒ぎしながら餅を拾った。僕も2個頂いた。こんなに多くの人々が集まり、笑い声が響くのは年一回の祭りの今日だけだろう。


小さな女の子がずっと舞台にかぶりついて見ていた


槍の舞

 天神社の隣は、薄暗い切り通し道を挟んで「片野城跡」である。もともと、この地は、1264〜1274年ごろに小田氏が砦を築いた。その後、1566年ごろ、佐竹義重に招かれた太田三楽斎資正が城を築いて、隣の柿岡城の梶原氏と協力して小田氏を山の向こうに追いやり佐竹藩の支配地とした。三楽斎の墓は神社の隣りにひっそりとある。この七代天神社は、片野城の守護神として佐竹郷の七代天神社の心霊を氏神として迎祀したものである。

片野城の虎口
片野城からの眺め

 冒頭に書いた「参道が掃き清められている」謎が解った。神社ととも移り住み、4百年間も代々神官をしていた天神林家の子孫が近くの町に住んでいて、毎週来ては掃除をしているという。すでに絶えてしまったと思っていただけに、子孫が健在なのを知って嬉しい。今回、直接会って、興味深い話を聞くことが出来た。

何だか、今日は、四百数十年の時空を散歩したような日だった。

城下の街並み(雰囲気がある)




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