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お堂の扉

 週に1日だけ開いてコーヒーを淹れている古民家の本家屋敷の庭隅には、虚空蔵菩薩を祀っている屋敷神がある。集落の古い家には、屋敷神を祀るお堂が敷地内にあって、初詣はこの屋敷神をお参りするだけだ。今まで、このお堂の扉が壊れていて付いていなかった。それでは、冬の雨風が吹き込んで仏様も寒かろうと思い、友人に頼んで扉を付けることにした。似合いの古材が見つかったと連絡があって、今日、その作業をした。

 昔話に出てきそうなもっこりした茅葺屋根は、一昨年の春、地域協力隊の若い女性が、たったの一人で全てを葺いたものだ。彼女は、朝から夕方まで毎日、誰もいない寂しいところで真っ黒になって作業していた。そしてついに完成させた。今では、茅葺屋根が適度に風化して、山裾の風景に溶け込んだ色合いになっている。次は、僕が扉を付けるからと約束していたのが、やっと今日実現したので嬉しい。

 私の住んでいる集落では、初詣で大きな神社や寺院に行くことはしない。集落の人々は、それぞれの屋敷神や一族が信仰する神社しか行かないのだ。周辺が山に囲まれた小さな盆地にも拘わらず、中心になって皆が集う大きな神社や寺院が無いのだ。初めてこの地に来た時、それが不思議だった。でも、住んでいるうちに理由が次第に判った。一族単位、集落単位で信仰する宗派が異なるのである。あるところでは、真言宗だったり天台宗だったり、また禅宗だったりする。あるいは浄土真宗だったりする。これはそれぞれの集落の出来方が異なって住人の出自が異なるからに違いない。これは、戦国時代に度重なる戦で勝ったり負けたりして、その度に支配者が異なり人の移動があったからだろう。浄土真宗などは、隣町に親鸞が長い間、滞在していたことに関係があるのかもしれない。
 昔から自分たち一族のだけの信仰を(密かに)守って、山麓の入り組んだ谷間にひっそりと隠れるようにして生活する。自分達だけの信仰が出自の証であり矜持でもあった。これが盆地全体を束ねるような信仰が育たなかった理由である。

お堂の左の石碑にも物語がある

 里山の冬。お堂の前のケヤキの大木は落葉してスクッと青空に屹立していた。庭の前のセンダンの実が、コナラの林を背景にたくさんの実を付けている。ヒヨドリに食べられるのも時間の問題だ。

センダンの実

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