【1232】多様化はコスト高
スメハラや映え、ベージュ族など、これまでになかった言葉が日々生まれています。
以前は年末の流行語大賞に、あーそんな言葉あったねぇなんて会話ができましたが、最近は、年末にはじめて知る言葉も多くなっています。
テレビが登場して各家庭に普及した頃、テレビは家庭に一台でした。ですので、みんなが一台のテレビを見ていたわけです。その結果、子供もお母さんもおじいちゃんも、みんなが同じ歌を歌えたそうです。
その後、核家族化も進み、テレビも各部屋に一台というように変化したことで、家族間、世代間で知っている歌が違ってきたわけです。
というか、お互いが見ているテレビによって得ている情報が違ってきた。
そして、携帯、スマホという形で、個人に一台という時代となり、今では同世代でも個人間で知っている歌が違います。
これでは、コミュニケーションを円滑にする、共感を生み出しにくいです。
文化は、河川から支流に流れているようです。
最後は海に?
これからは、どうなるんでしょうか。
コミュニケーション円滑のため、もう一度共通の話題を探しにいく作業をするか。
もしくは、遠方同士でも、自分と共通の話題ができる人を探してコミュニティー化するか。
最悪は、人とコミュニケーションをやめる方向に進むか、というところですかね。
コロナがそこにどんな一石を投じたのかは、もう少し後にわかってくる気がします。
それでは、さようなら。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?