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「相手は変わらない」と思うようになったら変わってくれたこと

『相手は変わらないんだから、自分が変わるしかない』
 相手に変わってほしくて色々と試みて疲れ果てたときに、冒頭の言葉に「本当にそうだな」と思って、もう「相手が変わることへの期待」をやめて、「自分を守るための方法を考えて行動する」に移行してから、むしろ相手が変わるようになってくれたな、と思います。
 わたしはイライラした人が苦手です。感染して自分までイライラしてしまうからです。そんな人がいたときは、まずは物理的に距離がとれるようならその場を離れるようにしています。 
 以前は、「あなたがイライラしているのにこちらは迷惑していますよ」というメッセージを込めて、分かりやすく足音をたててその場を離れていました。
 でも今は相手に当てつけるようにせずにソッと離れるようにしています。
 相手がイライラしやすい性格なのは変わらない。だったらせめて自分が影響を受けないようにしよう、という思いからです。
 こうしたほうが、相手のイライラが去ったときに「悪いことしたかも」と思ってくれやすいことに、対応を変えてから気が付きました。
 当てつけるようにいなくなると、それは結局「イライラするのやめろよ」というメッセージになって、相手を変えようとする意図が伝わります。
 相手を変えようとする意図って、いい気持ちがしないんですよね。相手も、「悪かったな」という思いよりも「でもイライラすんのは仕方ないじゃん」という気持ちが上回ってしまう。
 でも、相手を変えようとする意図がなく、ただ自分を守るために行動している人を見ると、自然と反省する心が芽生えるのかな、と思います。
 愚痴をぶつけてくる相手も、「この人が愚痴っぽいのはもう仕方ない」という前提をもって、性格を変えようとするのではなく、愚痴を話し始めたらさっ、と話を流したり話題を変えたりして、聞かない姿勢をとることにしました。
「愚痴を言う性格を直してほしい」ではなく、「別に直さなくてもいいし付き合ってくれる人にはすればいいと思うけど、わたしは聞かないよ」という姿勢です。
 そしたら、相手が礼儀正しくなってくれたので驚きました。
 愚痴に付き合っていたときは舐められていた感じがしたし、「言うのをやめて」という態度をとっていたときは不貞腐れた感じでした。
 相手にも「変わりたい」という意志があるなら別ですが、こちらが一方的に「相手を変えよう」という意図は、むしろ相手を頑なにさせます。
 なんのために相手を変えさせたいのか。それって結局は自分を守ることにつながるからではないのか。だったら相手を変えさせようとする方法ではなく、自分自身の行動で自分を守る方法はないだろうか。
 その結果として、相手が変わってくれることって結構あるんじゃないかな、と思います。
 

 
 

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