あきらめたら…
あきらめたら、そこで試合終了ですよ。
この言葉は、漫画、アニメで有名なスラムダンクの安西先生が、三井寿にかけた言葉である。
確かに、どの局面でもあきらめた時点で、終わってしまう。それは、分かっているのに、どうして、この言葉が不特定多数とはいえ、人々の心に刺さるのか?
それは、誰しもが、一度はあきらめたことがあるからだろう。挫折を味わうことの辛さは、当の本人でしか分からない。
御多分に洩れず、僕も挫折は数えれないくらい味わっている。負け癖がついているのではないかと思われる。
実際のところ、半分当たっていて、外れているという側面もある。
でもね、あきらめなければ全てが叶うということはないのが現実なんやね。
物凄く極論言うと、肉体的な全盛期を越えたひとが、野球が好きで、他人の練習量を何倍もしたからと言って、ドラフト会議で指名を受けたり、或いは、テスト生で入団出来るかと言えば否である。
そこには、あきらめていなくても、純然たる実力や事実が横たわっている。
だからこそ、これから、あきらめなければ達成出来そう、もしくは、努力して手に入りそうな目標に向かっていれば、生きてくる言葉でもある。なので、僕は、来る未来に向けてあきらめずに努力する所存ではある。
そのときに大切なのは、折れない心であり、自分を信じきることが大事なんよね。
先ほど、スラムダンクで安西先生の言葉を引用したとおり、僕は、スラムダンクが好きであり、漫画では、リアルタイムの読者であった。
原作では、桜木花道は、自分のことを天才だと自分で勝手に認識してる。勝手にとは言ったものの、人は、自分が思い描いた人生しか送れないものだ。
こういうと、必ず、帰ってくる言葉が、今、送ってる自分の人生は思い描いた現実とは程遠いということ。
しかも、漫画の主人公みたいに、劇的に変わるわけでもないと頑なに信じてる人から指摘されること間違いない。
そういう僕こそ、昔はそう思っていた。今の人生を送ってるのは自分が選んだもんやと。当時、僕は、その考えには否定してた。自分で選べるもんやったら、それこそ成功してるわと…
ただね、今になっておもうんは、何度か、分岐点にさしかかったとき、自分にとって楽な道を選んでたんよね。
そのくせ、言うに事欠いて、今の自分は他人から邪魔をされたとか、或いは、周りの状況が整ってなかったと、都合の良い言い訳ばかりを選択してたんやね。
全ての出来事における責任を他人に転嫁してれば楽やからね。でも、それをすることによって、自分の成長を妨げてる。何より、現状維持ではなく、低下するだけのもんやからね。
例えば、何度も言うけど、自分にとって利することがあるのなら、苦しくても、その利益、もしくは成功の果実を手に入れるためには、あきらめずに、トライ&エラーを繰り返せばええだけのことやから。
それに加えて、自分自身に対して暗示をかける意味でも、言葉遣いは重要。自分はダメやと思うのと自分やったら必ず出来ると、常日頃、言葉に出したり、強い想いを持つことにより、少しずつ現実は変わってくから。
古来から、言霊というのが共通認識としてある。前向きな言葉を、自分自身にかけることが重要やから。
さて、締めの言葉になるし、何度も言うで。
あきらめたら、そこで試合終了やから。人生を終わらせんためにも、頑張っていこう!