『サバルタンは語ることができるか』の紹介
はじめに
この文章は、インドの西ベンガル出身であり、アメリカで活動する批評家の、ガーヤットリー・チャクラヴォルティ・スピヴァク(訳書の表記。最近だとガヤトリが多い気がする)によって書かれた『サバルタンは語ることができるか』(原題:"Can the Subaltern Speak?")(*1)を要約しようとしたものです。
ぼくは、ポストコロニアリズムの専門家でも、フェミニズムの専門家でもないので、学習者のたわむれと思っていただければ幸いです。また、この本の論点は非常に多いためカットした部分もあるので、「ここ削っちゃダメだよ!」というご指摘があれば、コメントいただければと思います。
要約
『サバルタンは語ることができるか』は、サバルタンの主体(従属的地位に置かれている主体)についての語りの読解をとおして、サバルタンについて、とくにはサバルタンの女性について語ることの不可能性、および彼女ら自身が語ることの困難さについて論じたものである。
フランスの知識人への批判
著者は、西洋の知識人による、サバルタンについての語りを批判することからはじめている。批判の対象となるのは、フランスの哲学者、ミシェル・フーコーとジル・ドゥルーズである。二人は、ある対談のなかで、ポスト構造主義理論が果たした重要な貢献を二点にまとめている。
(1)権力/欲望/利害のネットワークは絡みあっており、どれかひとつについて語ることはできないということ。
(2)社会の他者の言説を明るみに出し、知るように努めるべきだということ。(4頁)
著者が問題にするのは、二人が「イデオロギーの問題およびかれら自身が知的ならびに経済的な生産活動の歴史のなかに巻きこまれているということにまつわる問題」を無視している、ということである(4頁)。二人は、「権力/欲望/利害」が絡みあっていると言っているが、実際には、「西洋という主体あるいは主体としての西洋を保持しようという、あるひとつの利害」(3頁)に強くつき動かされているのではないか? このことは、二人が「あるマオイスト」や「労働者たちの闘争」をあつかうときに際立つ。前者のばあいは、「「アジア」を透明で具体的な中身を消し去られた存在」にしてしまっているし、後者のばあいは、無邪気にそれを崇めたてることによって、「労働の国際的分業が完全に無視されてしまっている」のである(5頁)。
また著者は、フーコーとドゥルーズが「ルプレザンタシオン représentation」の概念を拒否していることについても問題があるという。二人は、政治において用いられるような「代弁/代表」という意味でのreprésentationと、芸術や哲学において用いられるような「再現/表象」という意味でのreprésentationをいっしょくたにしている(14頁)。この言葉の二つの意味は、相互に関連はしているが、どちらか一方へ帰一化することは到底不可能なまでに非連続的である。représentationのなかの差異を覆い隠すことは、サバルタンたちを表象しながら、みずからを透明な存在として表象することを可能にしている(15頁)。
ナポレオン三世と分割地農民
représentationの二つの意味の非連続性は、マルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日』を読むことでより鮮明になるだろう。著者によれば、「代弁/代表する」という意味でのreprésentationはドイツ語のVertretungに、「再現/表象」という意味でのreprésentationはドイツ語のDarstellungに対応している。ナポレオン三世の一八五一年のクーデターについて論じている『ブリュメール一八日』のなかでも、スピヴァクはとくに「分割地農民」についての記述に注目している(18頁)。分割地農民たちは「自分を代表することができず、だれかによって代表してもらわねばならない」ような、他の農民や労働者と比べても弱い立場にあり、ナポレオン三世はこの分割地農民たちをみずからのクーデターに取りこんでいく。スピヴァクはこのように言っている。「Vertretung(説得の方法としてのレトリックの群に属する)としてのrepresentationの出来事がまるでDarstellung(あるいは喩の方法としてのレトリック)であるかのようにふるまい、あるひとつの(記述的な)階級の形成と(変革的な)階級の未形成とのあいだのギャップのなかに場所を占めるのである。」(19頁)これは難解な記述だが、言い換えるなら、ナポレオン三世は、分割地農民にたいして、政治的な代弁者としての役割しかもたないはずであったのに、分割地農民たちをまとめる象徴的な表象としてふるまったということである。ここでは「政治的コンテクストにおけるreprésentationの内的な動態」が明確に説明されている(23頁)。ナポレオン三世と分割地農民との関係においても、「représentationの二つの意味をいっしょくたにする」ということが起こっていたのである。
以上をふまえて著者は、フランスの知識人たちを「批評家の責務」を果たしていないとして非難する。「批評家の責務」のひとつは、みずからの「主体に授けられた権力の制度的諸特権」を「個人主義的に拒絶すること」は不可能だということが、きちんと認識されるように「読んで書くこと」だろうと著者は述べている(27頁)。
「サバルタンの女性」は語ることができるのか?
著者はフーコーとドゥルーズの批判を切りあげて、インドにおける事例の分析にとりかかる。著者は、知識人が「自己の影としての他者」を構成するような出来事を、「認識の暴力」と呼んでいるが、そのもっとも明確な実例は、「植民地的主体(colonial subject)を他者として構成しようとする、遠く隔たったところで編成された、広範囲におよぶ、そして異種混交的な企図」のなかにあるという(30頁)。著者にとって重要なのは、インドのような「帝国主義的な法律と教育が発動する認識の暴力の圏域の内側および外側」にあって、「サバルタンは語ることができるのか」、という問いである(37頁)。とくに「サバルタンの女性の意識」について問うことは容易ではない。なぜなら、著者のような女性知識人が、第一世界の議論に参入しながら学び知ったものこそが、サバルタンの女性に接近するにあたって障害となってしまうからである。そのため、「ポストコロニアルの知識人はみずから学び知った女性であることの特権をわざと「忘れ去ってみる(unlearn)」ということから、はじめなければならないという。この作業こそが、「ポストコロニアルの言説をそれが供給しうる最良の道具を用いて批判するすべを学び知るということをこそ意味している」のである(74頁)。
著者は、「第三世界の女性」を構築しているイデオロギー的形成作業を、研究の客体へと文節化するために、フロイトの方法をもちいる。ここで対象となるのは、「白人の男性たちが茶色い女性たちを茶色い男性たちから救い出している」という物語である(78頁)。この物語のなかで重要な位置を占めるのが、「寡婦殉死」の廃止という出来事である。「寡婦殉死」とは、「ヒンドゥー教徒の寡婦が死んだ夫の火葬用の薪の上に登り、それの上でわが身を犠牲に供する」ことを指す。これはサンスクリット語ではサティーと呼ばれている。サティ-の慣習は、イギリス人の植民地行政のなかで廃止された。これについて、あるインドの研究者も、植民地支配のなかでつくられた善き社会の典型例とみなしているという。著者は、イギリス人にとっても、現地のエリートにとっても、「ほかでもない女性(今日では「第三世界の女性」)の保護がそういった善き社会の設立のためのシニフィアンになっている」と指摘する(83頁)。
サティ-は、インドの聖典『リグ・ヴェーダ』と『ダルマ・シャーストラ』において明記されているわけではないし、自殺自体は非難されるべきものでさえある(87頁)。解釈によってはその行為は「真理の認識」や「場所の敬虔さ」という意味をもつようだが(89頁)、それが儀礼のなかにどのように位置づけられていたのか明確にはわからない。その意味が不明確なまま、サティ-は、植民地行政において「殺人」や「古きものの露出」などといった単純なものとして処理されてしまった。サティ-のなかで、寡婦自身がどのような意識をもっていたのかといった問題は、このなかで消し去られてしまったのである(95-96頁)。
著者は、植民地支配下に書かれたエドワード・トムソンの著作『サティー』を「帝国主義を文明化の使命であると正当化したこの完璧な見本」としてとりあげている。ここに、冒頭のフーコーやドゥルーズと同じ、表象=代表(representation)の問題があるという(106頁)。この著作のなかでトムソンは、インドに赴任したハーヴェイ将軍を称賛している。ハーヴェイは、サティーの寡婦たちの名前を「光の女王、太陽の光、愛の悦び」などの一般名詞に訳すことによって、救うべき「かれの女」とみなした(107頁)。これにたいして著者は以下のように怒りをむき出しにしている。「人の名前を普通名詞に置き換えて翻訳し、それらを社会学的証拠として使用することほど、危険な遊びはない。わたしはこのリストに挙げられている名前を復元しようと試みてみた。そして、ハーヴェイ−トムソンの傲慢ぶりに腹が立ってきた。」(108頁)
プヴァネーシュワリー・バッドリーの自殺
著者は最後に、一九二六年のプヴァネーシュワリー・バッドリーという若い女性の自殺についてとりあげている。自殺の理由は謎だったが、プヴァネーシュワリーは生理中だったので、それが「許されざる妊娠」によるものでないことは明らかだった。後になって、プヴァネーシュワリーは武装闘争グループのひとつに所属しており、その政治的暗殺の任務に立ち向かうことができず、みずから命を絶ったということがわかった。では、どうして彼女は生理中に自殺したのか? スピヴァクは以下のように解釈している。「プヴァネーシュワリーは、女性の自殺が認められるのは一人の男性にたいする合法的な恋愛の場合に限られているのを自分の身体についての生理学的な書きこみのなかで(否認するだけでなく)置き換えるための途方もない労をとることによって、法が女性の自殺にかんして認可している動機がどのようなものであるかを一般化してみせたのである。」(114頁)この出来事は、サティーによる自殺についての社会的テクストの「サバルタン的な書き直し」として読むことができるという(114頁)。
まとめ
以上が要約です。すでにこの本を読まれた方はお気づきかと思いますが、今回の要約では、アントニオ・グラムシやピエール・マシュレー、アメリカのフェミニズムについて検討した第二章と、ジャック・デリダの重要性について論じた第三章の内容については省略しました。とくに、デリダについての記述をまるごとカットしているのは、デリダの翻訳者でもあるスピヴァクの重要な部分をとりこぼしてしまっているだろうと思います。
とはいえ、第一章と第四章におけるサバルタンについての語り、とサバルタンの意識の問題が、一番重要なところだろうとぼくは思ったので、こういうかたちになりました。
以上です。