ぬいに服を作るとき
ぬいにオリジナルの服を作るとき、どこかで誰かに見られるわけでもないのに、妙に緊張する瞬間がある。布を切り、糸を通し、針で縫う。すべてが慎重で、丁寧だ。でも、それが誰のためかは、意外とぼんやりしている。
「アイドルが喜んでくれるわけじゃないのに」
そんな声が頭をよぎる。けれど、だから何だというんだろう。そもそもこれは、アイドルのための服じゃない。ぬいのための服でもない。多分、自分のためだ。いや、もっと正確に言うなら、「自分が愛しているものを、ちゃんと愛してるって示すための服」だ。
不思議な話だ。ぬいはただの布で、綿で、中身が空っぽなのに、そこに何かを満たさずにはいられない。オリジナルの服を作るたびに、自分の中にある愛情のかたちが、少しずつ見えてくる気がする。たとえば、アイドルが着ている服を参考にしながら「この袖、こういうラインだったっけ」なんて考える瞬間。そこには、ただの再現じゃない何かがある。それはたぶん、私が知りたい「アイドルらしさ」で、同時に私が見たい「自分の理想」だ。
でも、どこかに引っかかるものもある。アイドルが本来の姿でいることを尊重したい。そう思っているのに、ぬいに服を着せることで、勝手に自分の世界に引き込んでいる気がしてしまうのだ。「ぬいはアイドルじゃない。だから自由だ」と割り切れたら楽なのに、その自由を借りて、自分勝手にアレンジをすることが、本当に愛情なのかと悩むことがある。
そうやって手を止めてみても、結局また針を持ってしまう。それはたぶん、私が「この愛し方」をどうしてもやめられないからだ。ぬいが綿と布でできているだけなら、それはただのオブジェだ。でも、そこに感情を重ね、服を作り、手を動かすと、ただのオブジェ以上の存在になる。少なくとも私の中では。
作り終えた服を着たぬいを見ると、「これでよかったんだ」と思う。その瞬間だけは、正しさも矛盾もどうでもよくなる。ただ、この服を作った自分を、少しだけ許せる気がする。それはきっと、私にとっての「愛」のかたちのひとつなのだろう。