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アイドルのぬいを愛でる際の邪な自己顕示欲
アイドルのぬいにオリジナルの服を作って、写真を撮る。背景を整え、小物を並べ、角度を変えながらシャッターを切る。その一連の作業は楽しい。ぬいが少しずつ「それらしく」なっていくのを感じる瞬間は、心が温かくなる。でも、その投稿ボタンを押すとき、胸の奥がざわつくことがある。
誰かに見てほしい、と思ってしまう自分がいる。「この服、似合ってるよね」「このぬい、可愛いでしょ」そう言いたくて写真を撮っている。けれど、それは本当にぬいのためなんだろうか? ぬいは言葉を持たない。ただそこにいるだけで、何も求めてこない。だからこそ、私は自由に愛を注いでいる。でも、その自由がいつの間にか自分本位になっている気がしてならない。
アイドルのぬいを通して、自分が愛情深いファンであることを証明したいのだろうか。ぬいに似合う服を作るたびに、「これを見た人がどう思うだろう」と頭をよぎる。自己表現と自己顕示、その境目がぼやけてしまう。
「これはぬいのためだ」そう思い込もうとするたびに、どこか嘘をついている気がする。
アイドル本人は、このぬいを知らない。私が作った服や撮った写真に何の興味もないだろう。だけど、ぬいを通して私が愛しているのは、紛れもなくアイドルそのものだ。その事実に触れるたび、矛盾が胸を刺す。私は誰にこの気持ちを見てほしいのだろう。ぬいに託すこの愛情は、どこに向かっているのだろう。
投稿が「いいね」を集めると、嬉しい気持ちになる。それと同時に、浅ましい自分を責めたくなる。ぬいを通して表現したかったのは、私の中にある純粋な愛情だったはずだ。それがいつの間にか、誰かに認められたい欲望に変わってしまったのだろうか。ぬいは黙って見ている。何も責めない。ただそこにいるだけだ。
それでも私は写真を撮り、服を作り続ける。その過程は楽しいし、何よりぬいが可愛いからだ。アイドルへの愛情は本物だ。それが少しでも伝わるなら、この矛盾も許される気がする。でも、時々思う。「これは本当にぬいのための愛情なのか」と。
葛藤は消えない。たぶん、これからもずっと付き合っていくものなんだろう。それでも私は今日も針を持つ。ぬいのためなのか、自分のためなのか、それはまだわからないまま。