ご当地ラーメンブームはここからはじまった ~V字回復までの軌跡~
※このコラムは横浜LOVE Walkerにて連載している「ラー博にまつわるエトセトラ」で掲載したものを一部追加してご紹介いたします。
それではスタート!!
ご当地ラーメンブームはここからはじまった ~V字回復までの軌跡~
開業前後に関してはこれまでの連載でお話させていただきましたので、初回は1996年3月からスタートした「新横浜着全国ラーメン紀行プロジェクト」からお話をさせていただきます。
1994年の開業後、3年間は右肩下がりで入場者が落ち込みました。もちろんオープン景気もあるため、ある程度は想定しておりましたが、3年後には年間40万人(155万人→115万人)まで落ち込みました。
そんな中、1996年に喜多方「大安食堂」が卒業する事となりました。この時私たちは、まだ知られざるご当地ラーメンを紹介するという原点に立ち返り、さらにレギュラー店以外に期間限定店を設けて、より活発なサイクルで多くのお店を紹介出来ないかとの思いから「新横浜着 全国 ラーメン紀行」プロジェクトを立ち上げました。ラー博史上最初のラーメン店の入れ替えであり、期間限定店の誕生となりました。
このプロジェクトはご当地ラーメンを中心に、3周年企画やラーメン登竜門などの特別編も含め、およそ6年の間に8店舗のラーメン店が出店を果たしました。
第1弾 札幌「爐」・・・1996年3月20日~1996年9月30日
第2弾 飛騨高山「やよいそば」・・・1996年10月5日~1997年3月15日
第3弾 幻のラーメン「匠」・・・1997年3月20日~1997年9月20日
第4弾 旭川「青葉」・・・1997年10月9日~1998年9月27日
第5弾 和歌山「井出商店」・・・1998年10月1日~1999年5月30日
第6弾 ラーメン登竜門「あまからや」・・・ 1999年6月3日~1999年8月29日
第7弾 徳島「いのたに」・・・1999年9月4日~2000年5月28日
第8弾 函館「マメさん」・・・2000年6月6日~2001年2月25日
プロジェクトを進めていくうえで、当時「ご当地ラーメン」という言葉や意味自体が浸透しておりませんでした。そのため最初は苦労しましたが、それでも地道にご当地ラーメンの普及活動を行いました。
そんな中、転機となったのが「インターネットの普及」でした。それまで全国にさまざまな地域性のあるラーメン=ご当地ラーメンが存在することすら知られていなかったのですが、1996年頃から、徐々に普及の兆しを見せ始めていたインターネット上にラーメン好きたちが主宰するホームページが登場し、その掲示板上でラーメン好きたちが活発な情報交換をするようになってきたのです。第4弾の旭川ラーメンは当時注目のご当地ラーメンと言われ、多くのメディアでご当地ラーメン特集が組まれ、この頃から徐々に来場者が増えていきました。そして第5弾 和歌山「井出商店」では、出店期間中(238日間)一度も列が切れることなく、最長待ち時間は210分という大ブレークとなり、1999年はオープン当初の入場者数を回復するまでとなりました。それぞれの出店にはさまざまなドラマがありますので、今後のコラムでご紹介できればと思っております。
このご当地ラーメンは、自然発生的(町おこし的に作られたものではない)に誕生した食文化です。日本は縦長の島国で地域により、紀行・風土・食文化が大きく異なり、ラーメンほどさまざまなバリエーションが存在する食文化はないのではないかと思います。この「知られざる食文化」を紹介したことがブレークした要因だと思っております。
次号では出店期間中一度も列が切れることなく、最長待ち時間は210分という大ブレークを果たした和歌山「井出商店」についてお話しできればと思っております。