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スーパー非合理主義

得を求めない。かといって損を求めるわけでもない。なぜなら損を求めるとき、必ずそこには得が背後に隠れているからだ。では何を求めればいいのか。

「~したほうがいい」「〇〇すべきだ」

理想の、一般的に適当な何かを求めて、いつの間にか自分が溶けていく。

かといってやりたいこともない。いやある。それをやりたいことに勘定してなかっただけで、本当はやりたいことがいっぱいある。でもそれは、決して、俗にいう

「おしゃれな方がモテる」や「優しくて紳士的で、あと背がたかくて…」といったことではない

そういったことを何度求めても、最後に残ったのはだらけ切った肉体。

中2のころから、頑張れるものを見つけたい、とそう思っていた。

しかし、大学生になった今でも、そんなものは見つかっていない。

別に何か言いたいわけではないが、とにかく泥臭く生きたい。

ずっときれいになりたい願望があって、それでも汚く生きてる方が

綺麗だ、と今は矛盾めいたことを自分に言い聞かせている。

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