日常英会話の先にあるローコンテクスト文化というラスボス
フリーランスとしてWeb制作の仕事をしているRame(ラメ)です。
現在、カナダで知り合ったフランス人の彼と一緒にフランスで同棲をしています。
今回は、英語学習歴2年(社会人になってから再スタート)、カナダで半年間の語学留学、現在フランス人の彼と一緒に生活をしているにも関わらず、私が未だに英語を苦手と感じる理由の一つ「ローコンテクスト文化」というラスボスついて述べたいと思います。
英語を話すということは日本人以外の人と話すということ
まず、英語を話すということは日本人以外の人と話すということです。
何言ってんの?そんなの当たり前じゃん!この人だいじょうぶか…と思うかもしれません。
しかし私がこの事実にじわじわと苦しみ出したのは、日常英会話が一通りできるようになった後で、この時になってようやく英語を話すことの本当の難しさを痛感しました。
※日常英会話のレベル定義については、個人の意見があると思いますが、ここでは「日常生活に困らない最低限のコミュニケーションができるレベル」とします。
私はカナダに留学するまで、ずっと日本で暮らしていました。それはつまり、これまでの人生、会話はすべて日本人としかしたことがないわけです。
日本人同士の会話では、いわゆる「空気を読む」「相手の気持ちを察する」「協調性を重んじる」場面が多いですよね。
この「察する文化」が暗黙のルールのようになっているがゆえに、「察することができない」人はむしろ「気の利かない人」「協調性のない人」といった、マイナス評価を与えられることもあります。
そしてこの暗黙のルールに頼るコミュニケーションの概念を「ハイコンテクスト文化」と言います。
この「ハイコンテクスト文化」、英語圏ではほとんど通用しません。英語のコミュニケーションスタイルは日本と真逆の「ローコンテクスト文化」なんです。
英語を話すということは日本人以外の人と話すということ、日本人以外の英語話者と話すということです。つまりそれは最終的に「ローコンテクスト文化」を理解することに繋がっていきます。
日常英会話レベルを越えるにはローコンテクストへのシフトが大事
カナダ留学中、ちょっとした会話のプチトラブルが何度かありました。
例えば、ホームステイ先でマザーからとあるイベントに誘われた時、私は「Yes」とも「No」とも取れないような曖昧な表現をしてしまい(内心行きたくないやつ)、マザーがそれを「Yes」と受け取っていたことを知らず、そのイベントに参加予定になっていたことを直前に聞かされる、みたいなプチトラブルです。
例えば日本では、誰かから誘いを受けて、内心あまり行く気にはなれないけど角が立たないように断りたい時、「まだ行けるか分からないので後で予定を確認します!」といった感じでその場で断らず、そのまま忘れた雰囲気にしてしまう。相手もそれを察して、お互いその話はなかったことなる…というケースがあると思います。
このように「黙って忖度」する「ハイコンテクスト文化」は、日本人同士ではメリットもあるかと思いますが、「ローコンテクスト文化」の筆頭である英語圏の人とはすれ違いが起こりやすいです。
このような経験を何度かしたことで、自分の意思をはっきり伝え、できる限り曖昧さを回避し、わかりやすい言葉で会話することの重要さを学びました。
日本人の英語がなかなか上達しない理由
カナダ留学を終えて、フランス人の彼の家で三ヶ月お試し同棲をしている私ですが、はっきり言って未だ英語が得意ではありません。
同時に「ローコンテクスト文化」に苦しんでいます。というより、長年親しんだ「ハイコンテクスト文化」から逃れられず苦しんでおり、もはや悪癖とすら感じます。
例えば、私がするちょっとした心配事や行動に対して、彼は「なんで?(why?)それをするの?なんで知りたいの?なんでなんでなん?」とよく聞いてきます。
普段つっこまれないことに対して疑問を抱かれると、微妙に説明できません。そうゆう時(え?なんで…だろう…?)と日本語脳で考えてしまい、回答もモヤモヤした英語になってしまい、結果伝わりませんし、むしろ話がややこしくなります。涙
(フランスが「ローコンテクスト文化」なのかは正直よくわかりません。調べると「ハイコンテクスト文化」に分類されていたりします。しかし私の彼の場合「ローコンテクスト」なコミュニケーションスタイルをとってきます)
日本人の英語がなかなか上達しない理由の一つに「ハイコンテクスト文化」があると思いました。
日本人同士の普段の会話では、聞き手も話し手も、お互いの一般的な共通認識や価値観を高いレベルで共有し話を進めていますから、きっちり言語化しなくもいい場面が多く、その結果、言語化することが得意じゃない人が多いのではないかと思うのです。
しかしお互いの共通認識などない国際恋愛において、この「ハイコンテクスト文化」は弊害に感じることが多いです。気が緩むとすぐに言語化をサボってしまいますし、曖昧な返事をしたり、無意識に「ハイコンテクスト」なコミュニケーションスタイルで対応してしまいます。
また、これは私の場合ですが、英語で何か長めの説明する時、自分の中でしっかり言語化できることや意見を持っていることは日本語脳に頼らずに英語にできます(なんとか形になります)。
しかし、そもそも日本語でも言語化したことがないことを英語にしてその場でペラペラ話すことはできません。
このように、理由を聞かれても答えられない場面がまだまだあるため、英語に対しての苦手意識がなかなか消えず、未だに得意とは言い切れません。
しかし着実にそれを払拭していくために、普段から言語化する意識をつけていく必要があると思っています。
まとめ
社会人になった時に「結論から言え」とか「言語化せよ」と先輩から叩き込まれましたが、私たちはそれを意識的にやらないといけないほど、普段の生活が「ハイコンテクスト」なのだと思いました。
しかし同時に、人種・文化的な多様性があまりない私たちにとって「ハイコンテクスト文化」は切っても切れないコミュニケーションスタイルだとも思います。
当面は私の大きな課題になりそうですが、これからも海外生活や国際恋愛の学びについてきっちり言語化をしていきたいと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?