リスペクトと自然
〜をリスペクトしよう、というスローガン的な言葉はこれから色んな場所で聞いたりみたりするようになるんじゃないか、ただそれは相手を又は対象となる生物やモノごとも含めて、知ろうとすることの上にあるんじゃないかと、なぜかこんな写真を撮った後に思いました。
これは例えば文学的なエッセイなどを読んでいて、さりげなく本にのせられた写真に、綺麗に舞う蝶が〜とか、道端に咲く逆境に負けない強い花、的なことを書いてあって、まあ文学だからいいけど、と距離を置きたくなる際どい違和感に似ている。
かと言って図鑑の知識を詳細にそこで述べればいいか、そういう人もいるだろうけど、その文章のコンセプトもあるからいちいちくどくなる必要はないけど、とも思う。
ところでここに写っている、ジャコウアゲハのオスも(ヒラド)ツツジも人の手によって都会に持ち込まれたもので、なんか自然の風景を撮ったなあ、という気分にはなるけど、配置(place)されたものということになる。
けどそこには命はあるわけで、結局自然という言葉は掴みづらい言葉なあと思う。
人間社会だって誰かの意思によって計画されて今があるわけではないという事を考えると、それも自然といえなくもない。
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