こちら側の世界とあちら側の世界

僕が幼い頃ある時、救命病棟24時的な、いやもっと前のその原型的なテレビ番組をやっていて、致命的な心臓の病気を患った3-5歳くらいの、〜ちゃん(名前を思い出せない)の手術の番組をやっていてその数歳年上だった僕は食い入るように見ていた。
親が病院勤めだったのもあってテレビのチャンネルが自然にそれになっていた。

その時ショッキングだったのは、その〜ちゃんの心臓が動いている状態でテレビに映っていたからだった。全身麻酔をかけられて眠る〜ちゃんは手術が失敗すればそこから目を覚ます事はない状況だった。

テレビを見た後もう夜が遅く、布団の中に入ったが、寝る前に動いている心臓が映像で蘇ってきた。

〜ちゃんは僕より歳下で僕は重い病気なんかしたことないのに、彼は今僕が時々直面する敵の何倍も大きく苦しみを与える敵と戦っている、と思った。

健康に勝るものはないが、暗闇の中で勇敢に死を目前に戦っている〜ちゃんに畏怖の念を覚えた。

また、その時死をイメージした。
死のすぐそばで心臓が踊っている。
眠ったままの〜ちゃんは暗闇の死の淵でこちら側に戻るために実は戦いを繰り広げている。

どうかこちらの世界に帰ってきてほしいと言う思いと、私自身の死への直感と、彼への恋心のような熱みたいなものすら感じて、涙が滲んだまま眠りについた。

僕にとって病院と言うのは生死両方を含めた逃れられない苦しみの巣窟だった。

都会で死を目撃することは少ない。
それ以上の死が存在しているにもかかわらず。

それが病院の中にはある。

子供の時、僕が通っていた保育園の隣が母親が勤める病院で(あまり多くの人はこういう境遇は無いと思う)、ガラス張りの渡り廊下を、点滴をつけた車椅子の人や、肩から包帯が巻かれた人が通るのをよく見ていた。

その度に僕は、自分も気をつけなかったり悪い事をするとこうなるとか、恐れの念を抱くとともに、何かあの向こうに死があるんだなと言う若干スピリチュアルな感覚も感じていた。

だから自分よりでかい絆創膏、でかい包帯、でかい傷を負った人を英雄のように見ている事が多々あった。

なぜこんな事を思い出したのかはっきりしないのだけど、死の近くにいる人程私(達、なのだろうか?)をインスパイアする気がするのだった。

#病院 #スピリチュアル #死の近く

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