「あなたはどうやって機能するんですか」という見えない質問。
最近、通り過ぎざまに木に生い茂る葉や野鳥なんかを見てなんかそこから湧いて出てくる生命力みたいなものを見ようとするのだけど、その印象を維持することができないで、もどかしい気持ちになる。
そこで、昔は違かったんじゃないかと詮索しだす。
でもまたそこで否、それは昔を美化しているだけだ、と思う。
昔っていつだよ大体、それに幼少時代といえば鼻水を垂らして何も考えていなかったと思う。
否、では維持しようとしていることが自体が間違っているんじゃないかとも思うのだけど、どうなんだろう。
視力が落ちただけなのだろうか。よくわからない。
これは感覚を取り戻す戦いだな、と思う。
頭だけでなく身体の。
自然の事象は冷酷でざらざらしていてゴツゴツしている。
人間はなめらかで、ヌクヌクしているものを追い求めるが頭の中は抽象的なものを追い求め、その果てに他人に対してあなたはまるで「どうやって機能するんですか?」というような冷酷な態度になることがある。
自然の中から切り取って抽象化したものを、さらにpurifyして透明な精製水みたいなものを取り出して、それが正義だ!とする。
それは間違っているとは言えない。
だがその過程で、自然の中のゴツゴツした感じを忘れる。
頭ではなく、身体全体で思いっきり忘れる。
そして、挙句の果てに ”生きる意味” などを考え始める。
アホか、全部はゴツゴツしてザラザラしていたものの中から生まれたのだ。
前提を見直すべきだ。
でもどうやって?
私が生まれたときはすでにコンクリートが街のすべてを覆っていた。
PS: 私は何者か、ということは自己視含む客観的な事実や統計で形が見えてくるけど、生きる意味は、主観的である。
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