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アニメーターが芸術家のように名前を残すには?
スタジオジブリが日本テレビの子会社になるというニュースを見たとき、「宮崎駿がいなくなったらリスク」と「宮崎駿『後』のジブリ(後継者問題)」についてポストしました。
#スタジオジブリ の価値って #宮崎駿 がほとんどだと思うんだけど、宮崎駿がいなくなったらどうするんだろう?後継者を育てているって話も聞かないし(庵野秀明のスタジオカラーと提携?)、ただの過去作品の資産管理会社になるだけのような気がする。#Yahooニュースhttps://t.co/L3nSa2Y7GZ
— らんぶる (@ramblelazy) September 21, 2023
で、先ほど以下の記事を見つけて読んだのですが、だいたい自分が思っていたことと同じことが書かれていました。
この記事を読んで思ったのは、アニメーターは芸術家と同じような立場なのかなということ。記事でも指摘されていましたが、特定の個人である芸術家(この場合は宮崎駿)におんぶに抱っこで作品が作られる場合と、特定の個人に頼るのではなく組織の力で作品を作る場合の2通りあり、ジブリは前者だったと。
もうちょっと崩した言い方をすれば、宮崎駿(個人)の映画を観るのか、ディズニー映画(組織)を観るのかという違いかと。
また、作られた作品が後世に残った場合、作品名と一緒に誰が作ったかまで残るか、あるいは作品名だけが残るのか、という違いもあるかと思います。
そんなことをつらつらと考えていたとき、アニメーターは芸術家と同じような立場なのではないかと思いました(マンガ家やイラストレーターも同じですかね)。
1本のアニメを作るのに沢山の人が関わり、エンディングやエンドロールに関わった方々の名前が記されますが、でも作品として見たときに名前が残るのは監督であることがほとんどだと思います。監督の名前が残らない場合はディズニーといった制作会社の名前ですね。
もちろん参加されたアニメーターには有名な方もいらっしゃいますが、業界内だけだったり一部のアニメファンの間だけだったりのことの方が多いと思います。例えば「板野サーカス」と名前がついてしまった板野一郎さんは有名ですが、アニメ視聴者のうち何パーセントの人が知っているかとなると、監督の名前よりずーっと低いと思います。
美術館などへ行くといろんな作品があり、誰が描いた、造ったという名前と一緒に展示されますが、実際の制作には弟子やアシスタントなどが関わっているかもしれません。けどその人たちの名前は残りません。
芸術家は沢山いるけど、後世に名前を残せる人はほんの一握り。それも一スタッフではなく監督レベルの人のみ。
アニメーターの方が何を目標に活動をし、最終的にはどうしたいのか、あるいはどういった立場で作品を造りたいのかは人それぞれですが、それでもちょっとくらいは名前を残したい気持ちがあるのではないかと思います。
その場合もマンガや小説といった原作ありきのものではなく、オリジナルものである必要があります。例えばONE PIECEの劇場オリジナルアニメが作られヒットしたとしても、それは映画の監督やその他スタッフの作品では無く、原作者である尾田栄一郎の作品と受け止められると思いますし、指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)の映画もピーター・ジャクソンではなくJ・R・R・トールキンの方が先でしょう(あれ、もしかしてJ・R・R・トールキン知らなかったりする?)。
最近、X(Twitter)で「○○(作品名)の第X話で△△と□□をちょっとやらせていただきました」というポストを見るようになりました。やはり名前を知ってほしい、名前を残したいという気持ちの表れではないかと思います。
私事の話になりますが、某メーカー系IT子会社(孫会社?)に就職して2年目に、CGを使ったビデオを作る仕事をしたのですが、CG制作なんて専門外ですからCG制作はCGプロダクションに依頼し(一応、自作しようとワークステーションや、作成したCGを1コマ1コマビデオテープに録画する機械を買ったのですが、ワークステーションはすぐに落ちるは、コマ撮りは時間がかかるはでこりゃ無理だとなって結局CGプロダクションにお願いとなりました)、自分たちはシナリオ作成や工程管理などをしました。CGプロダクションの方はCMや映画、アニメ、ゲームのCGを作成されてて、「プログラミングと違って目に見える形のものが作れて羨ましいなぁ。映画とかになればエンドロールに名前が載るかもしれないし」なんてことを思いました。
私でも目に見えるものを作ったり、名前が残るもに関わりたいと思ったのですから、そういうのを専門に仕事されている方ならなおさらではないかと思います。
宮崎駿も原作を借りてアニメを作ったりしていますが、それが「宮崎アニメ」と宮崎駿の作品として受け止められたりしているのですから、無茶苦茶凄いとしか言いようがありません。腕力が凄いというか、反則技というか、どう言えばいいのかわかりませんが、自分のものにしてしまう力というのも才能の1つなのかもしれません。
そういった例外もありますが、テレビアニメでも劇場アニメでも原作無しのオリジナルで監督をやれる機会を与えられる、あるいはもぎ取ってこれる人はほんのわずかでしょうが、名前を残したいならアニメオリジナルの監督を目指すしかないように思います(それでも「足立慎吾」より「錦木千束」や「井ノ上たきな」の方が有名でしょうが)。
p.s.
輪るピングドラムで「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」というセリフがあり、私はさっきまで「お前は偉くも才能もなく、当然名前を残すようなことどころか、誰にも影響を与えること無く、ただ生きて最後に死ぬ」といったくらいの意味で捉えていたのですが、ぐぐってみたところ、
「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」
つまり「(それ以外の)何者にもなれない」ということだ。 幾原監督は今回の劇場版制作に際して、「あの時、どこにも行けなかったキャラクターたちが、今どこにも行くことが出来なくなった僕たちに何を伝えてくれるのか、それを確かめたい」という言葉を残してもいる。
と、「お前の運命、決まっているぞ」といった運命決定論みたいな感じの意味らしいのですが、自分の運命なんて確認しようもないのですから、なかなか無茶なことを言ってくれます。
「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」にも触れようと思って書き始めたのですが、思っていたことと全然違った意味だったので本文には入れませんでした。ある意味「気が置けない」の意味を間違って使うような感じだったといったところですかね。