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奪われたくない、演じるのだってご免なんだ。
あなたはどんな子供時代を過ごしましたか
Part2を配信したのはちょうど1ヶ月前くらい。PCが不調だったのもあるけれど、胃が痛くなる内容だったのでnoteを書いては手が止まり、というか今も3tくらいの重さをタイピングする指に感じている。
我が家は俗に言う母子家庭で機能不全家族で、私は虐待からなんとか死なずに生き抜いたサバイバーってやつだ。もう過去のことなので、今は健やかなところに心があるし概ね問題ない。大人にならざるを得なかった私は、今現在絶賛誰にも育ててもらえず置き去りになった子供らるふの育て直しをしている。
手のかかる子供だけど、愛おしい。楽しいことが好きで、お調子者の目立ちたがり屋だ。好奇心旺盛でオタク気質、想像力も豊かだ。辛い思いをしてきた分優しさも持っているけれど、感情を押し殺してきたからか、どうしても共感性が乏しい。それも含めて、魅力的な子供だと思う。
心身の安全があって、ふつうに育ててもらいたかった。もちろん、そういう気持ちは消えていないけれどもまあ、しかたない。偶然の連続で進んでいく人生を意味付けして、私はこういうやつですと語る言葉を得る。自分と、人と、つながっていく。
ナイト・イン・ザ・ウッズというゲームは、抱えきれない葛藤を傷つき傷つけながら受け止めていく、あの日の私と同じような、もしかしたら、あの日のあなたと同じような、若者たちの物語だ。
ナイト・イン・ザ・ウッズ Part 2 WEIRD AUTUM
1.ビーちゃんとビーちゃん
子供には、子供らしく過ごす権利があると思う。ただ、家庭それぞれに事情ってやつがあって、簡単に不条理に断りなくその権利は奪われてしまい、急激に大人にならざるを得ない時がある。きっと、ビーちゃんもそうだったのだろう。
Part2では主人公メイの友人であるビーちゃんの家庭事情が明らかになってきた。工務店を経営するビーちゃん一家。高校時代にお母さんが亡くなっており、すっかりお父さんは塞ぎ込んでいる。ビーちゃんは実質経営者として店を一人切り盛りしているけれど「店が続いているのは誰のおかげだ?」と言わんばかりに最終的な責任を負うのは自分だ、と偉そうにするお父さん。
ゆっくりと終わりへの下り坂を転がる町の中で、次々に消えていく店を、変われず終わっていく人々を、ビーちゃんたちは見送ってきた。そうはなるまいと、切れてしまいそうな糸で社会と店を、自分と父を、ビーちゃんはつなぎとめようとしている。
クソくらえと責任感のないまぜを毎晩何もない部屋のただ置かれたベッドの上で味わっているのだ。
私はかわいそうだ、と言いたいわけではない。ビーちゃんの今を生き抜くための生存戦略をかわいそうだなんて一言ではまとめられるはずがない。大学に行きたかった、でも父を放ってはおけない。私がやるしかないじゃないか、という自己犠牲に立った彼女の日々を美談にしたいわけでもない。
ただいつか、お父さんを救うことはできないし、ビーちゃんを幸せにできるのはビーちゃん自身だけだということに気がついて欲しいと願う。自分を幸福にする選択をしてほしい。自分はこうしなければならない、こうでしかあれないという義務感や運命論で人生をコントロールしないでほしい。人生は手づくりなのだ。
「神様も魔法もないって知ってる。誰かがやってくれるって、楽なことだったんだってわかった。」
「全てを変えてくれるような魔法があるなら、逃したくない。」
2.ビーちゃんとメイちゃん
Part1でビーちゃんの地雷を踏んでしまい、やっとこ回復してきた2人の仲。またも亀裂が入ってしまう。
「仕事辞めたら?私なら辞める。ビーが反対しないからお父さんが…。ただビーがずっと我慢するのは良くないって。ビーは弱くない、すげー奴じゃん。」
「すげーってなに?お母さんに死なれるのが、部屋にポツンと座ってるのが、どこがすげーんだよ。したくてやってんじゃねー、やるしかねーんだよ。」
人は誰でも、持っているモノサシでしか幸福の形を認知できない。メイちゃんの、ビーちゃんにもっと幸せでいてほしい、そういう親切心や半ば正義感から出た言葉が見事にビーちゃんの逆鱗に触れてしまう。他人にモノサシを当てられて不幸宣告までされるなんて、そりゃあ怒るだろうよ。
でも、ビーちゃんにもメイちゃんにとっての苦悩や葛藤、幸福はわからない。そもそもPart1で感じるビーちゃんからメイちゃんへの苛立ちは羨望と卑下だった。「大学行けるの羨ましい、なのにノコノコ帰ってきて毎日遊んでる。ずるい、私と変わってくれよ。」私もただメイちゃんは人生に迷う怠惰な若者に見えていた。それもちょっと、どうやら違ったらしい。
3.メイちゃんとお母さん
メイちゃんにも毎日のルーティンがある。夕方起きてから交わすお母さんとの何気ない会話、遊び歩き夜更けに帰宅しお父さんと談笑、バラエティ番組を一緒に見る。親子関係は一見毎日コミュニケーションを取っていて、うまくいっているように見える。そう、見えるのだ。
「どうして大学を辞めたの?いつでも聞いてあげるからね。聞きたくて仕方ないの。」
「家族みんなで決めたプランをどうして辞めたの。生まれた時からずっと計画していたのよ。色々と大変だったのよ。努力と大金と不安は意味がなかった。」
ビーちゃんの逆鱗に触れた翌日、意気消沈なメイちゃんにお母さんは言い放つ。ビーちゃんが大人にならなければいけなかかったのだとすると、メイちゃんはずっと母親の望む子供像を引き受けていたのだ。
メイちゃんは怒りがコントロールできない子供だったらしい。コントロールするためにお医者さんにかかって日記をつけていることが分かっているけれど、(いわゆる認知療法かな?)合わない服を心に着せられ続けて反発しない人がいるのだろうか。メイちゃんの怒りは人生を型押しされることへの必死な抵抗だったのかもしれない。
けれども、人は自分を見つめるのはどうも苦手なようで前述した通り、メイちゃんはビーちゃんにこういう服が似合うよ着るべきだよなんて押し付けをしてしまう。これは私も頭を抱えた。正しいっぽいこと、言っちゃう時あるよなあ。
「世に出て成功したロールモデルがいたら私はこんなことにならなかったんじゃないの?自分が叶えられなかったから出て行って欲しかったんでしょう?」
メイちゃんはやられっぱなしでは終わらない。お母さんに言い放つのだ。出来損ない一家からエリートが生まれるわけないだろう、ザマアミロ。と。
生まれる家は選べない。自分自身をこう育ててくれ、なんて提案できない。ずっと引き受けてきた「ボロウスキ家の子供役」をメイちゃんは大学を中退してきた終わりにしようとしているのだ。この終わりは、「メイちゃんがメイちゃんを生きる」ための始まりだ。
4.Part2ざっと感想まとめる
二人は形は違えど、自分の道を自分で作ろうともがいている。内面の変化が周りにまで伝わるのは、「何をしているか」とか「誰といるか」とか、そういう外側が変わった時だと私は思う。もしかしたらこのゲームが終わる時にも、二人の環境は何も変わっていないかもしれない。わかりやすく、はい自立しました、なんてオチが待っているとは限らない。
でも、日々濁っては透き通り、沈殿した思いや願いを汲み上げて、必死に濾過しようとする二人の変化を出来るだけ長く見ていたい。どうか幸せになってくれ、なんて感情が入ってしまったPart2でした。
あらすじの書き起こしが面倒になってしまったので、もっとお話ししりたい!と思った方はぜひ配信のアーカイブをご覧くださいまし〜〜
今日はそんな感じで!