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「ペンションメッツア」と「チロルの秋」をつなぐ線

「団地のふたり」に誘われて、小林聡美主演の「ペンションメッツア」2021を見た。松本佳奈作品としてもなかなか秀逸ではないだろうか。それに、こうしたタイプのドラマが意外と作られている事に気づいた。たとえば、市川実日子と中島渉の「A Table!」も似ている。市川は荻上直子作品で小林と共演もしていた。しかも、「ペンションメッツア」には、小林やもたいまさこが出てくるので、シチュエーション・コメディである「それでも猫が好き」が大元にあるのかもしれない。

テーブル(ときにはちゃぶ台)をかこむ空間は、ホームドラマの基本だが、ここにあるのはそれだけではない。二人きりで食卓を囲むことで生まれるこの雰囲気はどのあたりから来たものだろうか。ひとつのルーツと思えるのは、岸田國士作品ではないだろうか。

1924年、つまり100年前に発表された「チロルの秋」は、「1920年晩秋。墺伊の国境に近きチロル・アルプスの小邑コルチナ。そのホテルパンションの食堂」という設定で、登場人物は三人。そのうちのエリザはホテルの者で、すぐに舞台からいなくなってしまう。残されたアマノとステラが会話を交わすのだ。ステラは食事を済ませていて、アマノが鮎を使った料理などを食べ始めるのもうまい。カタカナの表記だが、「天野」と「Stella」であろう。むろん、天と星の物語だ。

喪服姿で二年旅をしているステラがシシリーへと旅立つことになり、アマノはひとり残されるのも嫌で、やはりホテルを出ることにしている。アマノも国を出て彷徨っている「根無し草」でもある。その二人の間にある記憶と心理とを、断片的な台詞のやりとりで語らせていく静かな劇である。喪服姿のステラが一人旅を始めて二年と言っているのは、第一次世界大戦が終了してからの時期になるので、ここには見えない形での戦争の影がきちんと描かれているのだ。その喪失感を抱えていることが重要だろう。

「チロルの秋」のホテルパンションのオーナーであるエリザの伯父は冬の間は閉めるとしていた。それがアマノを旅立たせるきっかけにもなる。「ペンションメッツア」の第7話で、小林演じるテンコはヤマメに後を託して旅にでてしまう。ペンションのオーナーに見えて、じつは旅人というのがポイントだろう。

「私の芝居の概念は殆んど、西洋、殊にフランスからばかり受けてゐると云つてもよい」と岸田は「「チロルの秋」上演当時の思ひ出」のなかで述べていた。なので、系譜にあるように見える作品が、どこか「フランス」やヨーロッパを志向するのも当然だろう。ヘルシンキで食堂を開く、といった話へとつながるのも宜なるかなという感じだ。







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