松沢裕作『歴史学はこう考える』

文学や文化の研究で、歴史資料やアーカイブを探る手法が採られることがあります。その際の最大の危惧は、史学科の専門課程のように、史料を扱うトレーニングを経ていないままで、手紙や日記や各種文書を素朴に、あるいは手荒に扱う例がたくさん見られることです。シュリーマンの愚を繰り返すわけにはいきません。

考古学のトレーニングを経ずに、勝手に土器や石器を掘り時代について語ることがどれだけ危険なのかは、考えるとわかるはずです。ところが、文字や言語の場合には、危険性が見えにくい。ひどい場合には、「***にこう書いてあったから正しい」と小学生並みの記述に陥ってしまいます。

親族に西洋史のトレーニングを受けた者がいて、文学研究での史料の扱いが杜撰な点をずいぶんと批難されました。しかも史料の記述を問い直す「言語論的転回」のあとで、史料をどう考えるのかは、フーコーのアーカイブをめぐる議論とともに、大きな試練を受けているわけです。自伝研究や評伝が大きく変化したのも確かです。そんな折、手頃な本が出ました。

松沢裕作著『歴史学はこう考える 』(ちくま新書) です。とりあえずこれが共通の了解を提示してくれます。政治史、経済史、社会史が対象になっていて丁寧に説明されています。法制史がないのが少し不満ですが、歴史を考えていくうえで史料をどう扱うのかに慎重になるべき理由がよくわかります。


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