『古典芸能への招待』「歌舞伎「俊寛」~三島村歌舞伎から~」
4日に、NHKのBSP4Kで、「歌舞伎「俊寛」~三島村歌舞伎から~」を再放送してくれた。4Kなのでeテレのときよりも細部が鮮明になった。
硫黄島は、『平家物語』の俊寛僧都が流された場所として最有力しされている。奄美に近い喜界島説などもある。いずれにせよ、この地で、中村勘三郎が演じたものを息子の勘九郎が再演したものである。近松門左衛門による文楽の『平家女護島』を歌舞伎化したものである。砂浜、波、大仕掛けの船というのは劇場ではかなわない視覚効果もあり迫力があった。
それ以上に気になったのは日本語の変遷だった。追加された勘三郎による鶴屋南北の「鈴ヶ森」と黙阿弥の『髪結新三』を観たことで、色々と考えさせられた。
近松は1719年に創られた文楽の狂言で、当然浄瑠璃がたりが入る。翌年に歌舞伎となるが踏襲されている。今回の上演でも、俊寛たちの演技に被って背後で唸り続けるのだ。それが感情や状況を補足するわけだ。
ところが、南北の「鈴ヶ森」1823年になると言葉がぐっとわかりやすくなる。名台詞の場面であることも確かで、幡随院長兵衛を演じた吉右衛門が楽しそうに演じていた。
黙阿弥の『髪結新三』1873年になると、今度は七五調がついて出てくる。この心地よさに乗れるがどうかが気に入るかどうかの分かれ目だろうが、勘三郎と芝翫とのやり取りはさすがで、永代橋のところは納得がいった。
『平家女護島』では、俊寛が使者である瀬尾を殺す際に、慈悲をかけないという瀬尾の論理が、本人に返ってくるところが興味深い。「情けは人の為ならず」という世俗の道徳ともつながる。そのあたりが、大坂でウケた理由でもあるのだろう。
白井権八の雲助相手の刃傷も、髪結新三の策略や狼藉も、「悪いやつ」を観たいという観客の期待に応えたもので、そのあたりは任侠映画などまで続くメンタリティをすくい取っている気がする。