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「記憶喪失」で不調をぜんぶ治したミカさんの話

「実は5ヶ月ほど、記憶をなくしてまして……」
ご無沙汰してすみません、と彼女は言った。

なんの冗談け?

気まずそうな照れ笑いを浮かべる
ミカさん(仮)をみて、
ぼくは何秒か、理解がとまる。

『そ……そうだったんですか!?
ひとまず詳しく伺いながら、体をみましょうね』

そこで、
もう一度、驚く……

半年ぶりにみた彼女の体は、ほとんど別人のものだった。

あんなにスジばっていた首が、ふにゃふにゃ。
張りに張ってたお腹も、背骨に届きそうなほど奥まで触れる。
エラの筋肉が盛り上がっていたアゴも、
板が入ったみたいだった腰も、
くびれがほぼ消えてた足首も……

ぜんぜん違う。

高校生の体のように、弾力がよく、整っている。
(当時ミカさんは40代)

何より、顔が違う。
こんなに明るく、こっちまで息がしやすくなるような
大っきな笑顔をもった人だったんだ……

不思議だけど、そのとき、納得した。

そうか、記憶を失っていたのか、と。

◆◆◆

半年前までの彼女は、明らかに働き過ぎだった。

残業は当たり前。
休日も、普段の「残り」の仕事を片付ける。

そして旦那さんが、プロのボクサー。
(もともと、旦那さんのためにうちを見つけて来院した)
彼の三食すべて、栄養価を計算して、つくる。

試合前の減量中は彼の気が立って、
それはそれは、家の空気のピリつきがすごいらしい。
ぼくも試合3日前の旦那さんに会ったことがあるが、
普段の温厚さがウソみたいに消えて、
ケモノのような目をしていたのを覚えている。
「そうでもしないと、本気で人なんて殴れないですよ」
と、後に話してくれた。(なるほど……)

さらには、ワンちゃん。
どんなに忙しかろうと、毎日散歩に行く。
小型犬で甘えん坊で、抱っこが好き。
自分で歩くのをいやがって、つぶらな目で見上げてくる。
そんなワンちゃんを、半分ぐらいは抱っこしながら、散歩する。
(それ犬の散歩じゃないやんけ)

そういうすべてが、
「きつくない」と言ったら嘘になる。
でも自分の大切な喜びだと思っていた。
自分を犠牲にしてるつもりなんて、これっぽっちも無かった。

……だから、倒れた。

脳梗塞。

ミカさんは、記憶をうしなった。

◆◆◆

恐怖。

初期に強烈に感じたのは、
「とにかく怖い」「申し訳ない」
という気持ちだったらしい。

生活ができないわけじゃない。
助けてくれる人はいる。

幸い体に障害は一切でなかった。
問題なく話せるし、聞けるし、歩ける。
パソコンもできる。
(なぜか基本的な使い方はわかるし、
 キータッチもできる)

だから、職場には行ける。

だけど……

●ぜんぜん何をして生きてきたのかわからないのに、
40歳を過ぎている……

●記憶がない自分には、何もできない……役に立たない

●家族のこと、彼のこと、犬のこと、同僚のこと、
何もわからなくて、どう接していいかわからない……
「好意」を、ぜんぜん自然に返せない……

●私のことを覚えてくれている人たちのことを
何も覚えていない自分が、申し訳なくてしょうがない……

●聞かなきゃわからないことだらけなのに、
何を質問したって、相手を傷つけたり、
ガッカリさせたりしてしまうかも知れない。
本当は不要だったはずの手間をかけるしかない自分。

●自分のためにも周りのためにも、記憶を思い出したい。
でも、それこそ「心当たり」なんて、ない。
「心」に「当たる」ものが、驚くほどない。
焦るなって医者には言われるけど、焦らないほうがおかしいでしょ、
こんなに申し訳ないのに!

●思い出したいことが思い出せない歯がゆさは知ってたけど
「生活の全域すべて」が「そう」なるなんて
想像もしなかった。その辛さも。
大事な(はずの)人たちも、自分の家も職場も何もかも、
それに何より自分自身さえ「他人事」にしか見えなくて、
ひたすら遠い……

●これからどうしたらいいのか考えたい。考えたい……
でも「何を材料に考えたらいいのか」、
何の蓄積も無くなったから、それさえわからない。

●自分は何をしたい人だったのか、何が楽しかったのか、
未来はどうするつもりだったのか。

●どうしたらいいのか、どう生きたらいいのか……

脳をギッシリ埋めたのは、疑問。
でも、答えはない。
ヒントさえない。

怖い。

怖いのに、
その怖さに対抗する術さえわからないのが、
もっと怖い……

記憶のない自分を、
ただただ、
「無知」で「無価値」で「無防備」だと思う。

◆◆◆

「一番きつかったのは、最初の一ヶ月でした」

そんな彼女も、
疲れとともに落ち着いてくる。

何も思い出せないのは、変わらない。
でも、覚え直した。
自分の身の回りのことが自分でやれるようになった。

食事も掃除も洗濯も、
以前のようなのかどうかはわからないけど、
どうにかちゃんとできる。
職場にも通える。
雑用が中心とはいえ、仕事ももう一度(?)覚えた。

そんななかで、ふと気がついた。

怖く、なくなってる……

記憶を取り戻したい気持ちは、依然として強くある。
あきらためたわけじゃない。

ただ、生まれ直したような気持ちに、
少しなってきている。

新しく知り直す家族や、彼や、ワンちゃんは、
当たり前のように、優しい。

もしかしたら、
このまま記憶がないままでも、
自分はやっていけるかも知れない。

……そう思ったとき彼女は、
恐怖の次の、強烈な感情に襲われた。

それは……

◆◆◆

有り難い――

戸惑うばかりで、
申し訳ないばかりで、何もわかってなかった。

私が辛い、私が怖い、でいっぱいだった。

気持ちが落ち着いて振り返れば、愕然とする。

家族も彼もワンちゃんも同僚も、
誰1人として、私を責めなかった。

私を面倒そうに扱うどころか、
そんな素振りさえ、見せなかった。

まるで初対面の子どもに
教えなきゃいけないようなことを、
(それこそトイレや食器の場所みたいなことも)
嫌な顔ひとつせず、当たり前のように話してくれた。

そうだ、当たり前のように……

もし面倒そうだったら、もちろん辛い。
でももし、すごく親切にされとしても、それはそれで辛い。
腫れもの扱いされるのもきついけど、
特別扱いされるのも、辛い。
私の性格だったら、申し訳なさが倍増して、
居るに居られなくなる。

あ……

そこまで、わかってくれてたんだ。

記憶をなくした私だけど、
なくす前の私を知ってくれているから、
そこまでわかって、みんな、
接してくれてたんだ。

「当たり前のように、優しい」って、
かんたんじゃない。

わたしを重くさせない、気づかせない気遣いって、
かんたんなわけがない。

有り難い。
そんなこと本当に、有り難い……

辛くて泣いたことは、何度もあった。
記憶をうしなった自分が、
みじめでかわいそうで、どうしようもなかった。

でもこの日は、
次から次から、ただただ有り難くてうれしくて、
涙が止まらなかった。

自分がみじめなんて、とんでもない。
こんなに大事にしてもらって
自分がかわいそうなんて、ありえない。

◆◆◆

「それからは、恩返しの日々でした」

彼女は、働いた。
もともとよく働く人だった。
頭の回転も、すこぶる早い。

ただし以前と違うのは、
知識がないこと。
でもそれは、先入観がないということ。

そして
「私が無理して倒れたら、何倍も迷惑をかける」
と知っていること。
「誰かを無理させ続けたら、悲しいことが起きる」
と知っていること。

だから、つくり直した。
ひとつひとつ、
彼女の会社の仕事のやり方を、つくり直した。
覚え直すついでに、効率化していく。
無理やムダを省いていく。

自分も周りも楽にする。
それが恩返しだと思った。

そうやって心が決まったら、
あんなに不安だった自分の未来に、
たしかな道筋が見えた気がした。

◆◆◆

安心と充実とモチベーションを取り戻した彼女は、
それから3ヶ月ほどして……

記憶を取り戻した。

きっかけは「わからない」らしい。

衝撃的なシーンのようなものがあったわけじゃない。

ただ、ワンちゃんの散歩中に、
「急に蛇口を全開までひねったみたいに」
過去の記憶が流れ込んできたという。

「これからを知っていくしかない」と決めていた人たちの、
「これまで」が急にわかるという体験は、
ものすごく新鮮だったらしい。

そしてそこでも彼女は、
「感謝」の念に、襲われた。

仲良かったあの人もこの人も、
記憶をなくした私に、
何の怒りももどしかしさもぶつけず、見せず、
あんなに穏やかに優しかった……

「私だったら、そんなふうにできる自信がない」
と思う。

だって、すごくショックだから。

一緒に行ってあんなに楽しかった旅行のことも、
同期で悩んだり泣いたりしながら共に戦ってきた歴史も、
納期ギリギリの夜にみんなで徹夜して何とか間に合わせた達成感も、
いきなり全部忘れられたら……

悲しいに決まってる。

私なんて、友達と一緒にお酒を飲んだ次の日に
「昨日のことは酔っ払い過ぎて覚えてない」って
言われるだけで、すごく悲しくて寂しいのに。

その何十倍か、何百倍か、わからない。
私は何年分を「なし」にしてた?

そんな悲しさも寂しさも一切おなかに収めきって、
「初対面から」私との付き合いを、
やり直してくれていたのか……

あの人も、この人も。

有り難い。

家族がいること。
職場があること。
そこに優しい同僚や上司がいること。
その人たちと働けること。
帰る家があること。

みんなが「新しい理解」を一から一緒につくってくれたこと。
その上で、これまでの大事な記憶も、思い出せたこと。
それらが「無くても」親身に付き合ってくれた人たちと、
それらが「ある」状態で、付き合っていけること。
そういう全部を、共有できていること。

有り難い……

記憶をなくす前と、
仕事も環境もまわりにいる人たちも、変わってない。

でもこんなに希少な、
恵まれた状態にいたこと、
こんなことにならなければ、わからなかった。

嬉しかったことだけじゃない。
きつかったことも辛かったことも、
二度と忘れたくない。
全部が私をつくってきた、私の全部だった。


……そう思ったら、

「お世話になっていたのに
 ご無沙汰してしまった人たちに挨拶したい!」

って気持ちになって、
つくったリストの中に、整体師のぼくもいたらしい。

それで以前の自分の体調不良を思い出したけど、
びっくりするほど

「どれも今は平気」

になっていた。

◆◆◆

「だから、もうどこも痛くないけど、
 永井先生にもご挨拶がしたくて、半年ぶりに来たんです」

やはり彼女は、別人のように見える。

以前あった力みも、
見ていて心配になるようなもろさも、
苦労のかげも、ない。

そう、
苦労はものすごくしたはずって思うのに、
苦労のかげが、ない。

部屋ぜんたいが明るくなるような顔で、笑う。

彼女のその半年間の出来事を聞いて、
ぼくは「当たり前」をナメている自分が恥ずかしくなった。
人や環境にものすごく恵まれているのに、
そのことに慣れ切ってしまっている。

それと同時に、
「記憶を失うことは、ここまで体の余計なクセを消すのか」
ということに驚いた。

姿勢のクセも、歩き方や座り方のクセも、
以前の彼女とは全然違う。

逆にいうと
「要らない思い込みを消せた」なら、
抜本的に変化していけるポテンシャルが、体にはあるんだ。

もちろん、感謝ということも、大きい。
こっちのほうが、大きいのかも知れない。

彼女は、
「自分の体に感謝してるんです」と言った。

記憶を失ったことさえもはや有り難いし、
自分がものすごく無理をかけて犠牲にしてきたにも関わらず、
手足がちゃんと動くような状態を守ってくれた、と。
もはや「そう」なるように、導いてくれたんじゃないか。
何もわかってなかった私に、教えてくれたんじゃないか。

彼女の変化を見て以来、
「感謝というものは、自律神経の栄養になるんじゃないか」
とぼくは考えている。

◆◆◆

ミカさんがその後、うちに来ることはなかった。

ぼくからも
『もう整体が必要なお体じゃないです』
とはっきり伝えたし、
自分の体への感謝とリスペクトをあれだけ持って
セルフケアをやっていれば、
他人の力を借りる必要はほとんどないだろう。

ただ、あれは……
最後の来院から、どれぐらい経っていたのか。

一通だけ、彼女からメールが届いた。

「彼が、プロボクサーを引退しました。
最後までやり切ったと言っています。本当によかった。
ご無沙汰していて恐縮なのですが、
永井先生の健康動画には、すごく助けられました。私も元気です。
これから彼の人生は正念場ですが、私がいれば大丈夫だと思ってます(笑)
先生もずっと元気でいてくださいね!」

一瞬だけ、
記憶をうしなう前の張り詰めた顔が浮かんだあとで、
それは、最後にみたミカさんの笑顔に上書きされた。

自分は、あんな顔で、笑えているだろうか。
要らないものを、手放せているだろうか。
身近にずっと在り続けてくれている人や場やものを、
マヒせずに大事にできているだろうか。

ひとつひとつに氣を込めて、生きたい。
……無理だけは、しちゃいけないけど。

おとといの晩飯が何だったか思い出せない……
ってところからミカさんのことを思い出し、
どうしても書き残したくなった。

なんというか急転直下、敬虔な気持ちになった月曜でした。

ではでは、今日もお大事に。
整体師の大事な仕事に
「思い出させる」「忘れさせる」ということが
あるような気がしてきたよ。


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