らくよう舎として初めて誰かに作品を見てもらう出展をしたのは 私の人生で大きな出会いとなったリュックサックマーケット、 2006年の6月の第3土曜日。 ふと、この間自分のプロフィールを見て 『あ、15周年なんだ』 と気づいてびっくりしてしまった。 本当に気づけば15年も年月が流れていたという感じ。 布と糸と針から始まった柔らかな手仕事は 刺繍という軸を持ったまま 工具やペンチや釘や真鍮 木や古いものと出会い 自分の頭の中にあるものを表現する手法として の刺繍に変化をしてき
映画館で映画を観る時、最近は何を観るか決めずに行き、 入り口のポスターと題名だけで決めるロシアン映画方式をとって、 楽しんでいたのだけれど、 この映画は絶対に初日に行くと決めていた。 「Amazing grace」 初めてアレサフランクリンの歌声を聴いたのは 5歳の時にみた ブルースブラザーズ レイ・チャールズやJB、ジョン・リー・フッカーとか いろんなミュージシャンをかっこいいなぁと観ていた中で出てきた この食堂の奥さんはなんなんだ!と 稲妻に打たれたくらいの衝撃を
5月の半ばに出展予定だったクラフトフェアの中止が決まり、 ご連絡を頂いた。 去年も直前で中止になり、今年こそはと準備を進めていただけに ある程度覚悟はしていたとはいえ、やっぱり残念で悲しい。 大きなイベントには準備がいる。 今日明日で簡単にどうこうできるものでもない。 主催の皆さん、準備に尽力くださっている皆さんのご苦労を思うと 本当につらい 私は木々があって、雰囲気も空気も時間もゆったり流れるような場所で開催されているクラフトイベントが好きで、 出展申し込みをする時に一
去年いっぱいで二足のわらじの一足を脱いだ 北欧ビンテージを扱うお店に6年ほど雇っていただいて ただ古いもの好きなだけでなんの知識もなく飛び込んだ世界だった 1960年代から70年代はイケイケの時代で その頃に作られ、5、60年も経つ家具や照明や食器は今でも驚くほど美しくて 今でもそのデザインの基礎となって生き続けているものばかり。 職人のプライドが見える丁寧な作りだっだり、 何も概念にとらわれないデザインや色や材料の使い方、 古いものを手直ししながら特別扱いせずに生活に溶け
2月から4月の記憶があんまりなくて 季節は気づけば過ぎて 着るものも気持ちも結局追い付かないまま 年の瀬を迎える あたりまえがどんどん目の前でなくなっていくのが こんなに悲しいことなのかと途中やる気もなく切なくなったりもしたけれど ふいにできた時間で いままで後回しにしたままだったり曖昧なまま進んでいたこと してみたい、作りたい、未来のビジョンを ゆっくり、しっかり自分の中で整えることができたのが 何よりの収穫だったかもしれません それでも今年は初めての百貨店出店や 中
今週末に小さな企画展示を開催できることになり、 久しぶりにワークショップを考える。 今年は出展やイベントがことごとく中止になってしまい 気持ちも落ち込んでいる中で 小さいながらも展示をして見ていただける機会ができたことは 何より嬉しい。 今までとは違って人数も内容も対策も色々と考えることは増えたけれど 楽しい時間を共有できる喜びのほうが大きい。 らくよう舎のワークショップは 『ゆるり刺繍の会』 その名の通りゆるりとした時間。 たくさんの色糸と道具をトランクに詰めて行く
あっという間に日が短くなって夕焼けがきれいで 朝晩少し冷え込んで、タオルケットではもう寒くなってきた。 いつもならこの季節はあちこちに 出展したりイベントがあったり 新しい出会いがあったり 楽しく大好きな季節なのに 今年はことごとく無くなってしまい ただただ秋の風を感じるだけの日々。 この時間をただ寂しく思うだけで動かないのはやはり性に合わない貧乏性。 少し頭の中を整える。 やってみたかったことやりたかったこと 思いついたことを思いつくまま書き出す。 それをもとに作
時折、無性に大きな木を刺繍したくなる 根を張り 幹を伸ばし 枝を這わせ 芽を出し 葉がしげる そのとおりに糸をさしていく。 下書きはしない。思うままに成長する木。 枝が増えると必然的に葉が増えて大変なのだけれど 無心で一枚一枚枝を追いかけながら葉をいれる作業は ザワザワした心をニュートラルに戻してくれる不思議。 小さい頃から森が好きで 今でも近くのお気に入りの場所へ一人で出かける。 風が鳴り それに応えるように枝葉を揺らし立つ大きな木を見上げる それだ
あんまり悩まない性格、直感で思った方に進んで生きてきた。 後悔はあまりないのは、 まっすぐでも回り道でも自分で好きに選んできたからか。 そんな私が今、二択を2つ答えを考えている。 二択と二択。 辞めるか続けるか こっちに行くかあっちに行くか まあまあ舵を振り切る選択だけれど きっとたぶん 答えは決まっている 気がする。 考えても考えても霧が晴れた答えが出ないから 誰かに会っておしゃべりして 少しずつ道を広げて 見通しをよくして その先にあるであろう光の筋を探す日々
作品を作るとき、 古い金属だったり木だったり、 何かの部品だったり 古い物と刺繍を合わせて作る事が多く、 ガーゼや色糸の柔らかさと異素材の出会いが おもしろく、楽しくて。 ワイヤーアートを作るwireJiyuさんと 二人展やワークショップを一緒にやり始めたのがきっかけで 数年前から ワイヤー×刺繍の共同作品も作るようになった。 ワイヤーで枠を作ったものをもらって、 色糸を合わせていくという宿題スタイル。 wireJiyuさんの作るものは 繊細で可憐で聡明。 無機質で硬
雨は降るだけ降って 色んなものを流しきった頃を見計らって ちゃんとシャーシャーと蝉が鳴く 朝から騒がしく起こされる。 短い文章のやり取りはしていたものの 何ヵ月も顔を合わせられなかった手仕事の 友に久しぶりに会う。 素直に楽しく嬉しい。 1人で沸々と煮え切らないまま 手を動かしても何にも生まれなかった事、 やっぱりワクワクする気持ちがないと やる気がちっとも出なかったこと、 少しながらも焦ってしまっていたこと、 会えない間に思っていたことは みんな同じで、色んな思
県立美術館で開催されている ミナペルホネン つづく展へ。 有名な柄のワンピースと、 椅子のテキスタイルで見て かわいいな位の知識。 鉛筆、絵の具、切り絵、はんこと様々な手法で描かれたデザイン画に 1つの作品にかける創造とこだわり、 縫い目1つにも細かい指示書に 忠実に仕立てていく職人さんの手仕事、 出来上がるまでの情熱がビシビシ伝わる。 手仕事、手刺繍をする身として クリアな気持ちで受けてみようと 丸腰で挑んでみたら 完全にフルボッコになりました。 作りたい物を
降り続く雨。 しとしとなら 雨音も空気も心地よいのに ごうごうと 何でも流してしまうのは つらい。 薄曇りの空を見ながら 選ぶ色は明るい青。 花びらがこぼれ落ちそうな 咲き終わりの姿は 力強くはかない。 散る 零れる 舞う 吹雪く … 日本語にあるたくさんの 花の終わりの言葉の美しさ。 種を落とし 土にかえり、 また新しい芽を息吹く 植物を刺繍するときに 美しく咲く姿より 咲き終わりを選んでしまうのは その姿にひかれてしまうからか。 うまく表現できるにはまだまだなの
気づけば1年の半分が終わっていた。 1年の半分の半分はなんかよく分からないまま過ぎたので 時間軸がずれて不思議な感じ。 手仕事をやりかけては置き、 違う刺繍をやりかけては置き、 いまいち進みが遅いのは 今まで出展やイベントに向けて こういうのを作りたいと浮かんだものを 形にする作業をしていたので、 その向かう先がなにも決まってない となると ただ闇雲に手を動かしてもそりゃ なんだかな というものしかできない。 なので、チャレンジをしてみようと 一つ結果を待っている。
4月のはじまりから少し旅をしていた 刺繍ブローチ。 毎年参加させていただいている 京都福知山にある まぃまぃ堂 さんで開催の 「ブロイチ」 たくさんの素敵な手仕事ブローチの中に おすまししながら並べていただいていた。 皆さんにぜひ見に来てくださいとも言えない中、 店主さんが期間延長や webや動画を作ってくださったりと 居場所を作ってくださったので、 不安な中にも心穏やかにいられたことに 感謝しかなく。 昨日、長くお世話になっていた子達が無事に帰ってきた。 久しぶりに
久しぶりに小さな刺繍をする。 ここ数年はアップリケ刺繍が楽しく、 わりと大ぶりに刺していくことが多いのだけれど 昔から小さいモチーフで 細かい刺繍をちまちまとすみっこにやるのが好きで、 時々スイッチが入る。 米粒に写経書くみたいな感じの小さい小さい刺繍 細い糸をミリ感覚で針をいれると無心になり心地よくなる不思議。