能登半島地震 -京都DWATとしての活動-
1月1日(月)の16時40分頃、石川県能登半島で最大震度7の地震が発生しました。あれから6ヶ月が経ちましたが、多くの方は今なお自宅に戻る事はできず、避難所等での生活を余儀なくされています。特に奥能登ではライフライン復旧の遅れがいまだにあり、倒壊した家屋や隆起した道路等、手つかずの状態になっている所が多くあります。
そういった事を新聞記事やネットニュース、石川県各市町村のホームページ等を時々確認しながら、被災地への思いを巡らせていますが、今回この地震の経過の中で「京都DWAT の一員として被災地支援 を行ってきました。
「京都DWAT とは何か?と思われる方も多いと思いますが、私も昨年まではあまり知りませんでした 。
DWATとは「Disaster Welfere Assistance Team の頭文字で、災害派遣福祉チームと言います。過去の災害時に、特に要配慮者(高齢者や障害者、子ども等)の体調悪化や災害関連死の被害が大きかった事から、避難所にいる福祉ニーズがある要配慮者を把握し、環境調整や社会資源につなぐ等の役割を担う組織になります。活動は主に一般避難所での支援となります。
今回京都DWATでは、1/8(月)から3/29(金)までの3ヶ月間、これまでにない長期間の支援として石川県七尾市で活動を行ってきました。その中で私は2/7(水)~10(土)、3/22(金)~25(月)の2回( 計8日間)、現地にて活動を行いました。
2/7時点での一般避難所&自主避難所は計33か所、3/22時点では17か所に減っていました。学校体育館 と各地区のコミュニティセンターが主で、どこも高齢者が多い...というのが印象的でした。2月時点では水 道が全然復旧されておらず、どこも仮設トイレで、その中には「汲み取り式の仮設トイレ」がありました が、強烈な匂いと不衛生さの衝撃を覚えています。
京都DWATの役割としては、今回はいくつかの避難所を巡回し、避難者の様子をラウンドしながら、気になる方には声をかけアセスメントし、避難所運営管理者や七尾市役所・地域包括と共有し、必要に応じてサービスが提供できるように調整を行ってきました。しかし当然の事ながら、現地支援者も被災されている中で、2月時点ではサービスを届けるのには時間と労力がかかっており、なんともいえない歯がゆさを 感じた場面もあり DWATとしてもっとできる事はあったのではないかと振り返っていたりしています。
3月の派遣時には、避難所閉鎖に伴う別の避難所へ移動をしなければいけない事や、仮設住宅の二次募集 の〆切りが迫っていたりと、避難者の方々は多くの選択を迫られている状況にありました。制度的な矛盾 や判断に迷う等のお話しをお聞きする事もあり、先を見通す事のできない不安や恐怖、非日常の生活がまだまだ続いている事を改めて痛感しています。
ただ、そういう状況にある中でも避難者の皆さんは忍耐強く、我慢し、お互いに生活を支えている状況がありました。共に支え合い、今を耐える。皆そのような心持ちで、過ごされているのがとても印象に残っています。
今回、避難されている方々の様々な思いや被災地の実際を知る事、感じる事になり、自身の様々な感情を知る事、触れる機会にもなりました。
京都DWATとしての活動は、3/29で終了していますが、七尾市をはじめ、奥能登である輪島市、珠洲市 、能登町、穴水町ではまだまだ支援が必要な状況があります。その地域に関心を寄せながら、できる事を継続する事が私達の責務だと考えています。
最後に、能登半島地震により亡くなられた方々に謹んでお悔やみ申し上げます。また被災された皆さまが一日でも早く日常の生活を取り戻されることとともに、被災地の復興を心よりお祈り申し上げます。
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