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【自分軸の人生】何事にも積極的なのは美徳か?

学生時代、何事にも積極的になりなさいー。

親からも先生からも
なんとなく周囲の大人から
そんな無言の価値観を伝えられてきたような記憶がある。

何も知らない時期には、
ジャングルジムにも登れば、
シーソーに乗ってみる、
鉄棒にチャレンジしてみたり、
ウンテイでどこまで行けるかやってみたりするのは
とても有意義だろう。

みるのとやるのは大違い!だからだ。

ちょっとやってみようかなと気が向いたら
食わず嫌いはもったいない。
思ったらやってみよう。
実体験の先に出るものはない。

でも、なぜやってみるのか?

それは、好きか嫌いか、
面白いと思うかどうか、
自分のやりたいことに関係あるかどうか、

やってみたからこそわかる「証左」を得るためだ。

できなかったけど面白いと思った。
できたけどあんまりグッとこなかった。

など、やってみると分かる自分の本音がきっとある。
これをもとに
本音の自分と対話することが
とても大事だと思う。

ところが
ついついこれを忘れやすい。

周囲の人も、
できたらすごいじゃん!と褒めるし、
できないと、出来るまで頑張ろうねと言うことが多いから。

自分も、
せっかくやったから、
最後までやり遂げなくてはならない気がしてきたりする。

でも、なんでも出来るようになることは、
そもそも目的だったっけ?

好きなこと、
やってみたいこと、
突き詰めてみたいことを
見つけるために
なんでも積極的に取り組んでみよう!

まあ、そのシノゴノ言わずにやってみたら?
分かることあるよ、きっと。

というのが本筋だったはず。
なんでもできるように頑張る必要は
本当はない気がする。

ましてや、アレもこれも完璧を目指す必要は
ないと思うのだ。

アミダくじを思い浮かべてほしい。
どこを選んでも種類のちがうお菓子がもらえる
子ども大喜びのアミダくじだとしよう。

最初に、当たりの場所が分かっていれば、
自分の一番欲しいお菓子につながるアミダを選ぶ。

他の子が自分の狙いではないお菓子を引き当てたら
「よかったねー」という気持ちになれこそ
イライラしたり
妬んだりする気持ちは湧かないはず。

最初に、自分が一番欲しいものを決めずに(知らずに)アミダに参加すると、前の人が引き当てていくたびに、
羨ましくなったり
焦ったり
イライラしたりしてしまう。

生きていく中で、自分が欲しいものを明確にしておくことは
本当に重要なことかもしれない。

ここを忘れると、
ちょっと人生を拗(こじ)らせる。

本当は大して興味もない
本当にやりたいと思っていないことに
ただただ目の前のライバルや友だちに
負けないように頑張らなければ!と思ってしてしまう。

頑張ることが目的化してしまい、
頑張っても本心からは幸福を感じられない。
そのお菓子、本当に欲しかったものではないから…。

そして何より
いろいろ頑張ると、すり減って疲れてしまう。

全部、積極的にやることが美徳!って
思わなくていい気がする。

補い合える仲間を見つけ
その仲間の役に立てるように
自分の特性を磨くことにがんばった方が
頑張る意味がある。

全部平均点ぐらいできるというのは、
学校教育の中で思い込んでしまった「枠組み」かもしれない。

自分への保険をかけすぎとも言える。

出来ないことや苦手なことがあっても
それを補って余りある得意なこと、
そして
仲間の素敵なところを受け止められる人間性があった方が
どうやら自分も周りも豊かで幸せになれそうな気がする。

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【大人のための人生シナリオ】〜自分の本当の願望を軸に生きる
なかなかの男性社会で30年働いてきたテレビマンが、コーチングやカウンセリングで「自分らしく生きる」を支援中。限定少数しか出来ませんが小学生からシニアまで。