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借金600万、再生前夜に鳴り響く静寂

東京の道は、いつも混沌としている。

街を歩いていても、すべてが流動的で、何もかもが同じスピードで通り過ぎていく。

それでも、今の私の歩みは、遅すぎるのだろうか――と、ふと立ち止まりたくなる瞬間がある。

自分の周りに降り積もる借金の重さ、そしてそれに追い討ちをかけるように絶たれた収入の道筋。社会的には「落ちぶれている」と言われても仕方ない。

けれども。

なぜだかこの状態は、私にとって「貴重な体験」であるようにすら思えてしまう。

多くの人はきっと、こんなことを経験せずに人生を終えるのだろう。

そう考えると、これは一つの選ばれた感覚だとさえ、勝手に思い込んでしまう自分がいる。

とはいえ、現実は厳しい。

ついさっきも、携帯会社から「通信を停止する」というメッセージが届いた。

もちろん、支払いを滞納している私が悪いのだが、それでもその通知が冷たく感じてしまうのは何故だろう。

私ひとりの存在など、彼らにとっては些細なことでしかないのだろうけれど……。

友人に借金を頼むにしても、どうにも返す当てがない。だから、頼めない。

こういう時、人はどうするのだろう。孤立してしまうのが普通なのか、それとも何か他に打つ手があるのか。少なくとも、私は今、できることを探し続けている。

でもそれを考えていると、妙に心は落ち着いているのが不思議だ。


下北沢の古いカバン屋さんで、30年続けているというオーナーの女性と話す機会があった。


「昔は、何をすればいいかすぐ分かったものだよ」

彼女はそう話していた。

今のように情報が溢れかえっていなかった時代は、ただ目の前のことをすれば良かった。

それが、今ではあまりに選択肢が多すぎて、何を選べばいいのかすら分からない、と。

彼女の言葉に、私は深くうなずいた。


私の今の状況も、ある種の情報の渋滞なのかもしれない。

自分で選んできた道だと信じた結果が、この行き止まり感。収入が断たれ、借金に追われる。けれども、どこかでこの経験が次のステージへと繋がるはずだと、まだ信じている。


会社に勤めている人なら、どうだろう。


その日常は、確かで安定したものだろうか。

その人間関係は、会社を離れても続くだろうか。

もし、そこに疑問を感じるなら、少しだけ立ち止まって考えてみてほしい。

職場の仲間たちは、本当の意味での仲間だろうか。それとも、ただの「同じ船に乗り合わせた他人」にすぎないのだろうか。



さて、話を戻そう。

母が貸してくれた60万円が、今の私の手元にある唯一の資金だ。


このお金をすべて借金の返済に当ててしまうことは避けている。

おそらく、ここで全てを投げ打ってしまったら、再起の手段を自ら閉ざすことになると直感しているからだ。

私の心は、静かだ。

通知さえ切ってしまえば、あの連絡の嵐も訪れず、穏やかな時間が訪れる。

ただ、それだけで心が安定するというのも、なんとも皮肉な話だけれども。

それでも、今はこの静寂の中で、自分自身と向き合う時間が貴重に思えてならない。

次のステージに進むための準備として。



外は雨が降っている東京。
街が静かに冷たい水に包まれている。
しかし、心の中では、いつか必ず晴れると信じている自分がいる。

そして、その晴れの日が来た時には、また新しい自分として、別の道を歩み始めているはずだ。

そう――迷いながらも、歩む道だけが残る。


日常は、ただの退屈な繰り返しではなく、こうして自分と向き合う瞬間の積み重ねなのかもしれない。

そして、その積み重ねが、私たちにとっての「生きている証」であり、大それた言葉だが「人生」なのだろう。


この長い独り言を、ここまで読んでくれたあなたに感謝を。

明日はきっと、少しだけ良い日になるはずだ。





少しでもいいと思ったらカンパをお願いしたい。

有料部分を設けているが、そこから先には何も書いていない。言ってしまえば、少しでも生活を立て直すための謂わば物乞いみたいなものだ。

もし、見ず知らずのあなたが、私にカンパしてくれるというのなら、私はあなたの慈愛の心に痛く感動する。恩返しはできないかも知れない。

しかし、私はそれをしっかりと受け取る。
そして生活を立て直す勇気を持てる。

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