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日本という国の始まり その1

日本という国がいつ頃から始まったか?明確に答えられる人は少ないだろう。国家国民の概念が芽生えたのは恐らく仁徳天皇の時代ではないだろうか。記紀の仁徳天皇の段にみられるように、彼は聖の天皇(すめらみこと)と呼ばれている。免税の話や難波の大土木事業などかなり大きな経済力を持っていたことが想像できる。また、宋書などにも記述される倭の五王の誰かには違いない。西洋において国家の概念は、ナポレオンの時代から生まれたというから日本の先進性は秀逸だ。しかし、ここでは、近代国家ではなく、邑としての国を問う。

支那のように正史が無い日本で、国の起こりを学ぶには、「古事記」「日本書紀」「古語拾遺」などの半分神話とされる書に頼るところが大きい。が、裏付けとして、考古資料などもかなり発掘されるようになったし、分子人類学や、各種微量分析によって道具類のルーツも解るようになってきた。例えば、我々が子供の頃は、社会科で登呂の遺跡などで歴史的稲作を語っていたが、今や米の遺伝子を解析し、全くの出鱈目を習っていたことを知る。同時に、プラントオパールの研究も進み、6000年前に米の栽培があったことも示された。水田も3000年ほど前からあったことになっている。

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話に入る前に、「古事記」について少し述べておこう。稗田阿礼が暗記していた事を太安万侶が書き連ねたことになっている、この書は、実に合理的で、実に自然を正しく観察している。西洋のように羽の生えた馬など出てこないし、肋骨から人が生まれることもない。とてもリアルなのである。例えば、国生みにおいても、先に女から声をかける、つまり、性成熟に達していない男とのセックスから生まれた子は未熟児になるのである。

さて、「古事記」によれば、高天原(たかまがはら)から我が国は始まる。一朝であることを考慮すれば、天皇陛下の祖先が高天原に住んでいたにすぎず、他のエリアには、まつろわぬ神、すなわち地方豪族として邑を形成していたことだろう。まつろった最大の神は、大国主である。それは、古事記国譲りに明記されている。日本全国に社が散見されることより、かなり広範囲なエリアを掌握していたことだろう。

この大国主の直接支配する国は、どこであったのか?それは、古代出雲であったことは間違いない史実だ。では、その古代出雲とは、どこなのであろう。一切の先入観、予備知識無しで古事記を読むと、現代の島根県でないことは明らかである。考古学的に、製鉄方法からしても、現在の出雲は大和王権とは異なるし、文献史学的に、ヤマトタケルの段を読めば古代出雲と現在の出雲は異なる場所であることが容易に想像できる。では、放射性炭素の分析より大社があったではないかと指摘される人がいる。しかし、あれは鎌倉時代か、少し古い時代の木であり、古代出雲時代とは無関係だ。

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近所に、式内社がある。式内社とは、927年に出来た憲法細則、つまり法律だ。この中に神名帳なるものがあり、全国の有名どころの神社が記載された最古の台帳となっており、これが社格にもなっている。幣帛料も出ていたこともある。まるっと云えば、大和朝廷から月給をもらっていた神社とくらいになろうか。近所の式内社は、『八桙神社』という。ご祭神は、大己貴命(おおなむち)である。一般的に知られた名前では、大国主とか大黒様であろうか。社伝によれば、阿波は南の長国(ながのくに)と北方の粟国(あわのくに)が合併して阿波国が成立したとある。しかし、もっと驚愕すべきことに、長国の国造の祖神としてここに鎮座すると書かれていた。(長公の祖・韓背宿禰は中央から任官されて派遣された豪族ではないと考える。太古の大和朝廷に、地方政治を一切取り仕切る権能は無かっただろう。)つまり、徳島県東部、東南部の支配者の祖神が大己貴命、すなわち大国主なのだ。この社伝は、徳島の東部、東南部が古代出雲と書いてあるに等しいのだ。これは、史実なのだろうか?

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例外は置いておき、日本の神を大別すると、おおよそ国津神と天津神に分けられる。大国主は国津神であり、天皇陛下は天津神の系統である。令和の天皇陛下は126代目だ。初代は神武天皇ということになっている。その前は誰かというと、鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)だ。日本の神はやたらと長くて覚えにくいので、スキップする。天照大御神の五世孫が神武天皇なのだが、古事記の行間を読みながら男系を追うと、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)にたどり着く。高天原の住人で、天津神の最高神の一柱でもある。古事記が頗るリアルだとすれば、高木の神(高皇産霊神)に該当する人物がいたのであろう。

冒頭に、掲げた写真は、天皇陛下即位式に不可欠な麻織物である麁服を作る麻畑、前にそびえるのは東宮山だ。この山から御霊(みたま:天皇霊)を大嘗宮へと運ぶ古式を今も連綿と続けている。それが、麁服調進であり、践祚大嘗祭なのだ。御霊を宿した人は、以後一人前の天皇足りえるのだ。伊勢神宮の方角へ向くのはその儀式を大日女尊である天照大御神に見守ってもらう事に他ならないし、御幸は、天皇になったことを報告に行っているに過ぎない。よって、藤原家が出世し、日本の権力者のトップに立っても、麁服調進の儀式だけは廃止できなかったのである。

次回からは、ディープな世界への誘いである。

需要があれば、順次加筆してゆくことにします。


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