自己紹介
私とマラソン
きっかけはひょんなことから
2009年~2013年まで岡山県の瀬戸内市というとても暮らしやすいところに住んでいました。健康維持のため、自転車通勤に加え軽いジョギングはしていましたが、特にレースに出ていた訳でもありません。
2011年のこと。岡山には吉備路マラソンという立派な大会があります。市長がその大会の10キロ部門に出ることになっていたのですが、アクシデントで急遽スクラッチせざるを得ないことに。私が代走を務めることになりました。ちょうど年明け直後のことです。代走をするからには、成果を出さないといけません。直近で市内の「日本のエーゲ海マラソン」という大会がありましたので、練習の意味で早速5キロの部にエントリーしてみました。走ってみると、これが実に楽しい!(いまだに楽しかったマラソン大会ベスト5に入ります)。ひょっとしたら、マラソンって自分に向いているのかも?と思いました。
良いイメージのまま、吉備路マラソンも楽しくゴール。その頃は、まだ時計も普通のデジタルウォッチでしたし、ランニングシューズも普通のジョギングシューズでした…。
初マラソン
東京マラソンには、第一回大会以来毎回エントリーしていたのですが、一向に当選せず。ところが、ご縁が回ってきたのでしょう。2011年のエントリーでついに翌年の東京マラソン出走のチャンスが回ってきたのです。東京マラソンというのは、毎年夏に抽選があり、出走は2月下旬~3月です。まだ半年あるとも言えますが、何しろ初マラソンです。早速本屋に行き、川越学さんの「マラソンの教科書」を買ってきました。この本の良いところは目標タイムごとに毎日どんな練習をやれば良いかがみっちり書いてあります。良いペースメーカーになってくれたと思います。
マラソンを走るからにはまずはハーフを、というので萩城下町マラソン、丸亀ハーフマラソンなどを経てついに2012年2月26日に初マラソンを迎えました。スタートブロックはK列。初マラソンではありましたが、楽しく走れ、後半バテたものの、ゴールタイムはネットタイムで03:57:35。初マラソンでいきなりサブ4だったものですから、嬉しくてたまりませんでした。その後、ソウル国際マラソンでの03:39:53がベストタイムですが、たいして記録は伸びていませんねぇ…。2017年からはウルトラマラソンも始めましたが、大きなケガもなく、生活のリズムになっています。
私と落語
きっかけ
私の初ナマ落語は、寄席ではなくて予備校の寮で聞いたものでした。その寮は大学生のチューターの方が住み込んで相談相手をしてくれていたのですが、お一人が東大の落語研究会に入っておられて、一席披露して下さったのです。演目は「錦の袈裟」。落語界のスーパースター、与太郎さんが吉原に繰り出してのドタバタ劇ですが、面白かったですねぇ。
三木助師匠
大学時代や社会人の若い頃は年に数回寄席やホール落語に足を運ぶ程度でした。私は辛うじて志ん朝師匠のナマ落語は2~3度聞いたことがある程度で、談志師匠は独演会や一門会に頻繁に足を運びました。
岡山での副市長職を終えて、東京に戻り1年半ほど経った頃でしょうか。神田の旦那さんが「桑原さん、落語好きでしょ?」と神田のお店に連れて行ってくれて、噺家さんを紹介してくれました。それが桂三木助師匠(当時桂三木男)でした。落語家にしておくのが勿体ないくらいマジメな好青年で、それ以来色々な面でお世話になっています。特に、2017年の三木助師匠の真打昇進襲名披露興行は3人真打(三木助、志ん五、こみち)だったので、計18回の高座のうち、出張でどうしても行けなかった浅草演芸ホール(演目:猿後家)を除き、あとは皆勤でした。
落語会
2018年からは「はじめて落語」と称して、三木助師匠が初心者向けの落語界をやり始めましたので、そのお手伝いをさせていただいています。奇数月開催ですが、お陰様でもう16回目を迎えています(2020年11月時点)。
また、新型コロナ以降、寄席の閉鎖や規模縮小などもあり、ご自宅を貸して下さる方がいらっしゃったので「おうち落語」と称するZoomを用いたオンライン落語会も毎月開催しています。運営面でご迷惑をお掛けすることもありますが、お楽しみいただいているようで、励みになります。
「落語ラン」のきっかけ
黄金餅
ようやく「落語ラン」のお話になります。そのきっかけは、2019年にあります。三木助師匠が「黄金餅」を新たにやりたいとのこと。この黄金餅というのは、道中の言い立てと言いまして、主人公が移動する最中に出てくる地名をテンポ良くポンポンと紹介するところがあります。こんな感じです。
下谷の山崎町を出まして、あれから上野の山下に出て、三枚橋から上野広小路に出まして、御成街道から五軒町へ出て、そのころ、堀様と鳥居様というお屋敷の前をまっ直ぐに、筋違(すじかい)御門から大通り出まして、神田須田町へ出て、新石町から鍋町、鍛冶町へ出まして、今川橋から本白銀(ほんしろがね)町へ出まして、石町へ出て、本町、室町から、日本橋を渡りまして、通(とおり)四丁目へ出まして、中橋、南伝馬町、あれから京橋を渡りましてまっつぐに尾張町、新橋を右に切れまして、土橋から久保町へ出まして、新(あたらし)橋の通りをまっすぐに、愛宕下へ出まして、天徳寺を抜けまして、西ノ久保から神谷町、飯倉(いいくら)六丁目へ出て、坂を上がって飯倉片町、そのころ、おかめ団子という団子屋の前をまっすぐに、麻布の永坂を降りまして、十番へ出て、大黒坂から一本松、麻布絶口釜無村(あざぶぜっこうかまなしむら)の木蓮寺へ来た。みんな疲れたが、私(志ん生)もくたびれた。 (古今亭志ん生版「黄金餅」より)
それで、9月にこの言い立てに沿ってひとつ歩いてみようじゃないか、ってんで三木助師匠と数名のお仲間と下谷山崎町(銀座線の車両基地(上野検車区)の辺り)から麻布絶口釜無村(実際は木蓮寺はないので、麻布絶江坂の曹渓寺)まで歩きました。楽しかったですねぇ。これがまずは落語ランのベースとなった原体験です。
落語ラン
2020年に入ると、ご承知の通り新型コロナが猛威をふるうようになりました。2月には楽しみにしていた東京マラソンが中止決定。目標を失った私はランニングの量も徐々に減ってしまいました。これでは、健康にも良くないというので、街ランに出るのですが、目標レースもない(6月のサロマ湖ウルトラも中止、結局2020年はいつもの大会が全滅)ため、モチベーションも上がりません。何とか、街ランが楽しくならないかと考え、普段聞いている落語の舞台を巡る「落語ラン」を始めたのです。第一回は「らくだ」とし、「らくだラン」と相成りました(2020年8月29日)。最初は、ただ走っていたのですが、徐々に事前に下調べをして、写真も撮りながら走るようになったため、結構面白くなってきました。もちろん、地名なんか全く出てこない落語もありますが、多くの落語には江戸周辺の地名が出てきますので、古地図と見比べながら落語に出てくる登場人物になったつもりで走っています。