落語って“猥雑で神聖な芸術”だと思う。
落語とは下卑た文化なのだ。
と、同時に非常に神聖な芸術である。
ーさや香ー
(偉人や哲学者の名言ぽく言ってみたYO!)
落語は、古くからあるというだけで、“日本の伝統芸能”の仲間入りをしているけども、やはりちょっと猥雑な文化なのだと思う。
さらに、能、狂言、歌舞伎、その他諸々の古典芸能と比べると至極カジュアルな印象だ。
大好きな番組にNHK『にほんごであそぼ』がある。
当番組内で落語についての扱いが後発的だったの は、きっと齋藤孝氏が落語に明るくなかったからではなく、先述のような理由が相まってのことだと思わずにはいられない。
ちびっこには、猥談や吉原は早すぎる、と。
上方落語は大道芸から、江戸落語はお座敷芸から始まったとも言われている。
事の起こりを紐解いてみても、なんとなく格調高いイメージは湧かない。
しかしながら、これほどまでに神聖な芸術文化もなかろうと思うのだ。
相撲や雅楽が神事としての面影を残すのならば、落語だって神事だと言っても良いのではないかと、個人的に思っている。
寺社仏閣での落語会の開催はよくあることだ。実は、落語の原型が“僧侶の説法”だという説もある。そもそもが偉い人の有難い御言葉がルーツだったのだ。
だから、“落語”=“祝詞”ってコトで、いーぢゃないかと思う。← テキトー。
古事記には、アマテラスオオミカミとアメノウズメノミコトで有名な天岩戸神話が記されている。
天岩戸から出てこないアマテラスを引っ張り出すために、岩戸の前でアメノウズメ自ら舞を踊ってみせ、八百万の神々とどんちゃん騒ぎをしたというあの話。
このアメノウズメノミコト、ストリップダンサー顔負けの勢いで秘部を晒して踊り狂ったとか。しかも、それで大衆の笑いをかっさらったとか。
え、欲情ぢゃなくて爆笑なの!?
昔の神様たちの笑いのツボ、「ソコ?!」みたいな。笑
秘部剥き出しの賛否は一旦置いておくとして、『身体を張って笑いを取りにいく精神』には大いに好感が持てる。
だからそんな精神で芸に挑んでいる、噺家さんやお笑い芸人さんが大好きだ。
脱ぎはしないけども、自分もそんなタイプだから、頭のオカシイTシャツとか着ちゃう。←
このアメノウズメノミコトの舞が、“雅楽舞”の元になっているとのこと。
え?
わたし、“雅楽”に詳しくないのですが、“雅楽舞”に爆笑描写ありましたっけ?笑
“舞い”こそないものの、天岩戸前で“爆笑を巻き起こした芸”ってもはや“落語”ってことでよくないですかね?
(ホントはさ、“へそ踊り”あたりが有力なんぢゃないかと思っているけども、この際“落語”ってことにしとく←)
アメノウズメノミコトは今日では芸能の神様として祀られている。
下卑た笑いを神様御自身が演っていたのだと思うと、落語こそ、神様に捧げるのに相応しいくらい神聖な芸術だと思えてならない。
そろそろフィナーレか!?第3回心灯杯!
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