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落語家のYouTuber化は、文明開化の音がする。

よく男の子は戦国時代、女の子は平安時代が好きだと答える子が多い。

が、断然わたしは天平文化が栄えた奈良時代と江戸末期から明治初頭にかけての“文明開化期”が好きだ。

なぜだろうか。

もう細胞レベルで、DNAレベルで好きすぎて理由は良くわからない。

世の中の流れが大きくかわり、何かの礎を築き始める『新しい時代の夜明け』にトキメキを覚えるからなのだろうか。


そう言った意味では、実に不謹慎なのだが、今このコロナ禍に、なにかの夜明けを待つようなワクワクドキドキしたある種の高揚感がある。

今まさに時代が大きく変化しているように感じられる。

“コロナ期”という名の過渡期である。



「以前のようなしあわせな日常に早く戻らないかしら」

と不安の中、願っている人は多いだろう。

“しあわせな日常”というのはいつか必ずやってくる。これは“状況”のことではなく、個々人の“心持ち”の問題だから。

ただ、コロナ禍前と何から何まで全く同じ日常にはもう戻らない。

すでに、時代が、世の中の意識が新しい方向に動いてしまっているから。


オリンピックが延期されるだなんて

こんな静かなGWを過ごすだなんて

これほど多くの人がテレワークで仕事をするだなんて

学校がこんなにも長い期間休みになるなんて、、、

一体、誰が思っていただろうか。

ましてや、、、

ほんの数ヵ月前まで、こんなにもたくさんの落語家がYouTuber化するだなんて、これこそ誰が思っていただろうか。

恐らく一番驚いているのは、落語家本人である。

ITリテラシーが高くない業界から、これでもかというくらい大量のYouTuberが瞬時に増殖したのだから。



「あれ?動画配信してない自分は出遅れた?」

という、得たいの知れない不安から、まるでYouTubeで映像配信をしていない自分がまずいんぢゃないかという焦燥感により、とりあえず着手しちゃった噺家さんもたくさんいるような気がする。

「落語は寄席で生を観るから良いんぢゃないか!」と思っていた師匠も、「オレのほうが先に“テレワーク落語”考えていたのに!」と悔しがっている兄さんも、ほぞを噛むような思いで、次々と動画を投稿しているのかもしれない。

あと何年かしたら、落語家といえば『動画配信をしている人』のイメージが強くなるかもしれない。

そしたら、落語家の親しみやすさが、若い人の落語への窓口を広げるようになる。

「え?あの人、落語家なのになにも動画配信してないの?ウソでしょ!?」

なんて、みんながみんな思うような時代になったりするかもしれない。


でも、こんな風にオンライン上でなんでもかんでも消費されてしまったら、寄席に落語を聞きにくる人が減るのでは?

「安売りするな、切り売りするな」とかで、師匠に動画配信をヨシとされてない噺家さんもいたりするのだろう。

いやいや。

その昔“電話”が一般家庭に普及しはじめたころ、「人と人が直接会う機会が減っていくのでは?」と危惧されたことがあった。

ところがどうだろう?

人々は電話で「会うため」の約束をして、ますます「会うため」に出掛ける機会が増えた。

だから、今たくさんの世の中の人たちがオンラインの世界に没入しているコロナ禍に、落語家がバンバン自らを露出して宣伝しまくれば、コロナ騒ぎが去った頃にYoutubeを観たたくさんの人たちがきっと寄席に集まってくる。



別に落語そのものを配信しなくても良いのだ。

好奇心旺盛で、フットワークの軽い、次の時代を担うYouTube世代の若者に刺されば良いのだ。

「落語家さんっておもしろい!」
「落語家さんってかっこいい!」
「この落語家さんに会いたい!」

すなわち、寄席に足をはこんで、

「落語を生で観てみたい!」

に繋がる。

だからこそ、名古屋の大須演芸場を無くしてしまうようなことがあってはいけないのだ。


たしかに、『落語文化』を世の中に広めることや『落語家として売れること』を考えたら、今まで落語家のメディア露出が少なすぎたし、売り出し方がだいぶアナログだった。


まぁ、これまではメインターゲット層が“お金を持っているお年寄り”だったから、それでよかったけれど、これからは今まで以上に一層情報伝達のスピードが加速した渦に『落語世界』も嫌が応にも巻き込まれてゆくので、いかに“インフルエンサー的な若者”にも媚びることなく上手にアピールしていくかということを、落語マーケティング的には考えて行かなくちゃならないと思う。


今、YouTubeのみならずネット配信動画界隈を賑わす、落語家の歌や踊り、体操、イラスト、紙芝居、コマ送りアニメーション、人形劇、トークショー、一人芝居 and more.

「え、なに?落語以外にもこんなにもたくさんの才能を隠し持っていたの?」

と、驚かされることばかりである。

落語家って、器用貧乏なんだぁと。

よ!何でも屋!←ディスってないよ、褒めてる。

こんな時期でもなければ、落語家さんの隠された一面を知れる機会もないし、着物姿以外の落語家さんの動く姿ってあまり観れないからとても貴重。

そして、普段チケットが取れないような人の高座も覗き見できたりするから、とてもラッキー♪



しかし、だ。


このタイミング落語界が“オンライン”という文明を手に入れてしまったことで、今までの落語界で構築されてきたヒエラルキーにきっとこれから歪みが生じてくる。

オンライン上では、今まさにスタートの火蓋が切って落とされたばかりなので、師匠もベテラン二ツ目も新米二ツ目もみんな一緒に横ならびでよーいどん!なのだ。

落語家だけじゃなく、すべての業界の人にも言えるし、全世界の人類に共通することなのだが、このコロナ禍で“何をどうしたか”によって、コロナ騒動終息後の個々人の結果が必ず大きく変ってくる。

人を蹴落とさずに、自分が上にあがることで生き残る方法を懸命に模索して行かないと、本気で生き残れない世の中に突入してしまっている。

落語ファンからしてみれば、様々な才能があちらこちらで花開き、賑やかで華やかでまさに明るい“文明開化”だけれど、落語家本人からしたら、もしかしたら自分自身と戦わざるを得ないシビアな“戦国時代”に突入したのかもしれない。

ものごとは何でも表裏一体なのだと気づかせてくれる、憎いコロナのありがたさ。

さぁ、せっかくだから変化の今を楽しもう。






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