七福神のなかでも大黒様はしゃべるらしい。
わたしは宗教家でも思想家でも占い師でもない。
強いて言えば、〝さや香教〟で〝さや香論〟を語りながら生きている。
だから他者と自身を傷つけないのであれば、誰が何を思って、何を信じていても良いと思っている。
見える世界だけを信じている人に、見えない世界をゴリ押しすること。
見えない世界を信じている人に、その存在を頭ごなしに否定すること。
これらは究極にナンセンスだと思っている。
大事なのは自分の価値観は自分だけのものであり、その価値をどこに定めると自分も他者もハッピーなのかを理解しているということだと思う。
さて、古典落語に【金の大黒】という演目がある。
そんなにポピュラーな演目ではないような気もするが最近よく耳にする。
《あらすじ》
長屋の子供たちが空き地で遊んでいたところ、大家の息子が〝金の大黒様〟を掘り出したという。縁起が良いからと、長屋の住民を集めて大家の家でめでたい宴がひらかれる。飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎの最中、飾られていた大黒様がととと・・・と歩いて外に出ようとするが---
ここからはネタバレになるが、サゲに触れないと進まない内容なのでご容赦あれ!
この大黒様が歩いて外に出ようとしたところ「どちらに行かれるんですか」と声をかけると、大黒様からひとこと。
「あまりに楽しそうなので仲間を呼んでくる」と。(「ちょっと華がないから友達の弁天を呼んでくる」などのバリエーション多数あり)
「おおーーー!大黒様って超粋じゃないか!しかもしゃべるんだ、スゲーーーーっ(←)」と初めて聴いたときにそう思ったところで、ふと気付く。
あれ?なんか、似てるはなしを知ってるような感じがするぞ。ん?
・・・あぁ、アレだ!
京都・蓮久寺住職、三木大雲和尚の大黒様のはなし。
三木和尚が蓮久寺の住職になったばかりの頃、お寺から去ろうとする大黒様の夢をみたそうだ。関西弁で別れを告げる大黒様に「どちらに行かれるんですか」と声をかける三木和尚。「もういやや」と去ろうとする大黒様だが---
三木和尚の体験談とのことですが、少々長めのはなしなのでご興味ある方はYouTubeからどうぞ!
落語の【金の大黒】は仲間の七福神を連れてこようと出かけるし、蓮久寺の大黒様も最終的に七福神全てを連れてきてくれたところがなんだか粋でお洒落だと思う♪
【金の大黒】は元々上方落語であり、蓮久寺も関西は京都に建立されている。いずれも上方のはなしである。関西の方が大黒様の信仰が厚いのかしら。上方の市井に馴染み深い神様なのかしら。
落語には他にも七福神が登場するはなしがある。
【一目上がり】【かつぎや】はいずれも七福神に絡んだ縁起担ぎの噺である。そして、この両演目とも別称を【七福神】というのだ。
(わたしはいずれの噺も【七福神】で記憶していたが、おそらく【一目上がり】は江戸落語で【かつぎや】は上方落語と、別の場所できたためにタイトル被っちゃったんだろうな)
江戸時代、上方は〝天下の台所〟と呼ばれる商人の街で、江戸の人々以上に験担ぎや縁起というものを気にしていたのではないだろうか。前回書いた『お伊勢参り』のはなしも上方落語のはなしだし。
落語には、そういう当時の文化や風俗を垣間見れて興味深いなと思う。