落語家は何を売るのか。客は何を買うのか。
「“落語家”ってなんなんだろう」
コロナ禍に、そのようなツイートを残した噺家さんが数名いらっしゃった。
立ち行かなくなったコロナ禍故のつぶやきなのか、日頃から胸に抱いていたことをたまたまその時期に吐露したまでなのか、その真意は知る由もない。
『落語家が何者か』なんて、わたしも知らないし、知っていたところでそれを偉そうに語れるような御身分ではない。
ただ、わたしにわかるのは、
「一の輔は一の輔だし、ローランドはローランドだし、さや香はさや香だ」
ということだ。
それ以下でもなく、それ以上でもなく、それまでなのだ。
一の輔は“一の輔”を売って生きているし、ローランドは“ローランド”を売って生きている。
もちろん、さや香は“さや香”を売って生きている。
お客様は、“さや香”を欲して買ってくださっているのだという自負がある。
「“落語家”ってなんなんだろう」と呟かずとも、そう思わずにはいられないほど厳しい状況に立たされた噺家さんは大勢いただろう。
そして、今も尚、その状況が続いているという人はこれまた多いだろう。
そんななかで敢えて、わたしは問うてみたい。
コロナ故の影響で、純粋に他意なく「落語家って、なんなんだろうなぁ・・・」と思わずにはいられなかった噺家さんたちに。
「あなたは今まで“何”を売ってきましたか。そしてこれから、“何”を売って行くのですか」
と。
コロナ禍でなくとも、“噺家戦国時代”にとっくに突入してしまっている今日日に
「あなたは“何”を売る人なのですか」
と。
勘違いしていただきたくないのは、わたしが、この「“落語家”ってなんなんだろう」という発言に否定的だということではなく、単純に興味と好奇心とで知りたいなと思うだけで。
むしろ、こういった発言も『人間らしくて』わたしは好きなのだ。
さて、今さらながら、わたしは『落語』が好きだ。
評論家でもマニアでもなく、「趣味は落語です」とギリギリ言えるくらいの温度感で好きなのである。
世の落語ファンが、一体『落語』の“何”を買っているのか正直なところ解らない。
しかしながら、そこに非常に興味がある。
「単純に“好き”なだけ」
という理由にとどまり、実際に自分が何を買っているか自覚していない落語ファンは多いかもしれない。
ちなみにわたしは、“モノの価値”は世の中の尺度ではなく自分で決めているので、『自分は何を買い求めているのか』が割りと明確である。
そう、わたしは『落語』という“パッケージ”を丸ごと一式、フルセットで買わせていただいている。
その上で、
『五感で堪能する人間臭さ』
『生身の人間が発するパワフルさ』
に価格以上の価値を見出だして、
『妄想世界で遊び』ながら、
『“言葉”が持つ可能性の在処』
を常に探るのが好きだ。
よって、単なる“入場料”としての木戸銭に3000円を払っているつもりは無いのである。
“お目当てのもの”が手に入れば、新橋演舞場 東寄席だって全く高いとは思わず、むしろ大満足だし、“お目当てのもの”が手に入らなければ、連雀亭でのワンコインでさえ高いと思う。
実際、落語ファンの皆さんは『落語』の“何”に価値を見出して、ペイしていますか?よろしければ教えてくださいね♪
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