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寄席は“ブラック”で“ピンク”で、かなりオヤジ。



鳥肌実が好きだ。



別に特定の思想を持っているわけでもないし、彼のことはあまり詳しくはないのだけども、どーしようもないあの演説がおもしろい。


くだらない。
そこがいい。

しかし、公共の電波に乗せようとすると、終始『ピーっ!』でかき消さなくてはならない。

だから、彼をTVで拝見した記憶が無い。

こんなにもメディアに登場せずに名を馳せているのは、ラーメンズに次いで、彼くらいだろう。

山崎パンの高井戸工場に行けば、彼に会えるのではないかと胸をアツくしたものだ。←




“なぜ、落語ファンにおじさまが多いのか”


今日も落語に想いを馳せつつ、先日の寄席の余韻を反芻しながら、自分なりに分析してみる。

先日のお江戸日本橋亭は、女性客のほうが多かった。
それは、きっと鯉八さんお目当てのお客様が多かったからだ。

『大成金』なんて、お客の7割はお姉様だ。

(※さや香調べ)

だが、それはとても珍しいことで、通常の寄席では圧倒的におじさまが多い。

なぜ、こんなにもおじさまに偏るのだろうか。



『能動的参加型芸術』には、男性脳のほうが適しているのかもしれない。

・・・と思ったが、

脳で生きてる男性よりも、
感情で生きてる女性のほうが、

想像力や共感力に長けているように思う。

なのに、なぜだろう。




嗚呼。


そうか。


寄席は“鳥肌実の演説”なのだ。←




よく考えれば、落語のまくらも本編も、ブラックユーモア炸裂なのだ。

誰かをディスって、何かを揶揄って、笑いを取るという下品で下世話な展開を楽しめるかどうか。

小学生が好みそうな下ネタ満載のダジャレギャグ漫画的なシナリオを笑えるかどうか。

そういうことなのだ。



なるほど、それらにシンパシーを感じやすいのは、やはり女性よりも男性だ。

おじさまも小学生男子も、基本的に中身は同じ生き物なので、笑いのツボは同じだとみなせる。


「もぉう、男の人っていつまでも少年なんだからぁ♪うふふ」


なんて、壇蜜みたいなたおやかさで言ってくれるような器の大きな女性は現実にはいないから、おじさまたちは、捨てられた仔犬のように寄席に集まり、消化されない(昇華されない)なにかを笑いに換えるんだろうなぁ。


うんうん、なるほど。


※尚、壇蜜のくだりは好みで“橋本マナミ”に置き換えも可。



たしかに、メイクバッチリ、着付けバッチリ、ヘアセットバッチリの『大成金』ファンのお姉様方が、鳥肌実の演説を聴いて抱腹絶倒している姿は想像しがたい。

あ、いや・・・

落語ファンって、やっぱりちょっと変わってるから、綺麗な顔してド下ネタ聴きながらゲラゲラ笑ってる人、意外に多いかもなぁ。←



とはいえ、女性は廓噺(吉原遊郭噺)には感情移入しにくいかもしれない。

なぜか、わたしはそーゆうのすごく好きなんですけどね。

大概好きな噺は、『禁演落語53種』に入っていることが多い。

あと、間男ネタとか、ちょっと艶っぽい噺とかもいいな。

『紙入れ』
『磯の鮑』
『湯屋番』

ベタだけど、このあたりがすごく好き。

『紙入れ』だけは、男性受けより女性受けのほうが良いような気がします。

が。

基本的にこの辺りの噺は全般的におじさま用な気がします。



そもそも落語は、室町時代後期の“御伽衆”の御伽噺から始まっているらしい。

じいやが殿に世間のあれこれを話しきかせて差し上げる・・・といったところでしょうか。

そこにオチをつけ始めたのが、落語の始まりと言われている。
ちなみに、商業落語になるのは元禄時代に入ってから。

つまり、男性が男性に話して喜ばすのだから、まぁ、小学生男子が好みそうなオチが付随してくるのは安易に想像つきますよね。

聴くほうも男性で話すほうも男性ならば、ちょっと、風刺っぽいことやエロいことでも挟んどこうかみたいになるよね。




たまに、綺麗な顔した男性の噺家さんが、さらりとど下ネタをぶっ込んでくることがある。

ある日の寄席で、『親子茶屋』と『紙入れ』と、あともうひとつソレっぽいネタ(←忘れちゃった)が続いた日があって、まぁ、3話ともそういう噺だったから、なんとかみんな本編に繋げられるように、割と頑張って卑猥な要素だっぷりなまくらにしようとするんですよ。

するとやっぱり、おじさまたちは喜ぶわけで。笑

まぁ、落語って根本がそうゆうところにあるんだろうなと思います。

まぁ、わたしもわたしで、お腹抱えながら聴いているんですけどね。←



年配のちょっと品の良さそうな御淑女は下ネタに嫌悪感を示している人が多い。

人を貶して笑いを取るなんてひとでなし。
いやらしい内容で笑いを取るなんて下品だわ。

くらいに思っている方も多いと思う。


しかしながら、そんなご婦人方が好みそうな綺麗な顔の噺家から、たまに意外性のあるネタが飛び出してくると引きがあって良いのかもしれない。



だから、

「最近、オンライン落語を見て○○さんのファンになりました♪きゅるるんっ☆」

みたいな若い女子は気をつけてね。

アナタの好きな画面越しの「○○様」は、生の寄席では、超絶下品なピンクネタだったり、放送禁止用語満載のまくらしか言ってないかもしれないですよ? ←



ところで、

「新海誠作品や宮崎駿作品は、アレはダイレクトに、でもそうとはわかりにくいように、彼らの“ピンクファンタジー”ですよね」

と言っていた知人がいる。

新海誠作品は『言の葉の庭』くらいしか観たことがないが、確かにあの甘酸っぱさは、監督の遠い日の憧れをあのまま閉じ込めた作品なのだろう。

“恋に恋して恋に泣く”ような青春時代に焦がれた甘酸っぱさや、人には大きな声で言えないような自分の内で温めてきたような“癖(へき)”を、爽やかで安全そうな、いかにもな作品に乗せて昇華させようとしているんだろな。


落語にもちょっと似たようなところがあるように思う。


台本を作る人がいて、それを演る人がいて、それを聴く人がいて、その人たちみんなの“ピンクファンタジー”の昇華の場なのだろうな。きっと。


『湯屋番』


なんてそれの最たるもののような気がしていて、小中学生が読みそうな妄想たっぷりの胸キュン青春漫画とあまり変わらないと思う。

湯屋番はほとんどが“妄想話”で、妄想の中で照れたり喜んだりしている、バカなボンボン息子がかわいい。

抱き枕かかえて、鏡に向かってキスの練習をしちゃうような10代男女くらいかわいい。←

しかし、果たして今の時代にこんなピュアな10代はいるのだろうか。

絶滅危惧種のように思われるだけに、そんな少年少女がいたらツチノコと同じテンションで捕まえて保護しなくちゃいけないかもしれない。← なんか違う。

きっと、そんな『湯屋番』を、おじさまたちは自身の10代を懐かしむために聴いているのかもしれない。



そして、落語と言ったら、やっぱり“サゲ”。
以前のnoteで気づいちゃったんですよね。↓


わたしは、秀逸な“駄洒落”を“サゲ”に求めているだけかもしれない、と。
そして、それはきっとただの“親父ギャグ”にすぎないのかもしれない、と。






結論!

“なぜ、落語ファンにおじさまが多いのか” 

それは・・・

寄席は、そして落語は、“ブラックジョーク”と“ピンクファンタジー”と“オヤジギャグ”から構築されていて、それが一番刺さる層がおじさま世代なんだ!・・・ということ。

本日のタイトルは、フレイディみかこ氏の、名著のタイトルを文字ってみた。

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』

きっと、こうゆうところのセンスが『アルミ缶の上にあるみかん』に響いちゃう“オヤジ”気質何だろうな・・・。






『“落語Tシャツ”クイズ』も、まだまだみなさん考えてみてくださいねー♪
答えは近日中に発表しますー☆ ↓




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さや香 / 落語ジャーナル
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