歌麿の、櫛が落ちてる四畳半神話
古典落語には度々都々逸が登場することがある。
都々逸とは七・七・七・五の26音からなる唄のことである。
「明けの鐘 ごんと鳴るころ 三日月形の 櫛が落ちてる 四畳半」
例えば、【棒鱈】という演目に登場する都々逸である。
数ある都々逸のなかで、本当に良くできている唄であると思う。
『そうと云わずに、それと匂わす』
その含みに、情緒と色気が漂っていて洒落ている。うん、とびきり御洒落。
Twitterにて、彩雪さんが書いてアップしてくださったものです!嬉しい☆
なんてなんて美しいのでしょう♪
点と点とを、線で繋ぐコトが好き。
皆まで言わずに展開を仄めかして、その先の想像を追うのが好き。
日本古来からの”おくゆかし文化”みたいなものに胸ときめく。← 私自身空気は読まないタイプだけど。
想像力を強く刺激してくるものにそそられるのだ。だから、落語も好き。
提示された断片だけを組み合わせて、あとは想像力で補完して、ひとつの芸術作品を作り上げる感覚がたまらない。
頭の中と心の中は、どこまでも無限大に拡大可能な”治外法権”なのである。これほど胸躍るような”自由な場所”って他にない。
数年前、『春画展』に出かけたことがあった。
細川護煕氏の永青文庫で開催されていた企画展である。
この『春画展』にて、わたしはひとつの“手ぬぐい”を購入した。
当時、この画は春画展のポスターにも起用されていた。
喜多川歌麿の『ねがひの糸口』という作品である。
正確に言えば、その作品の一部を絶妙な構図で“切り出した”ものである。
作品名で検索していただければ、その情事の全容は明らかになるのだが、わたしはこの『鏡台に片足だけが覗いている画』のほうが断然好きだ。
殊更に艶っぽい。
たったこれだけの描写で、そこで何が繰り広げられているか、容易に想像がつく。
そして、皆まで語られていない画の補完は、各々の想像力に委ねられるという自由さにも魅力がある。
わたしは、先述の都々逸を聴くたびに、歌麿の『ねがひの糸口』から切り出されたこの画を思い出してしまうのだ。
歌麿といえば、セキグチヒサシ氏デザインの心灯らくご会のポスターにて『難波屋おきた』が起用されていましたね☆
ちなみにこの〝おきた”という女性は、歌麿のお気に入りのモデルだったのだとか。
ところで、先日、竹紋さんが高座にかけてらした【棒鱈】がバツグンに良くて驚いたのです。
登場人物が多くて、場面転換も難しい演目だと思うのですが、見事に演じ分けていて、個人的には【磯の鮑】越えかなと。
スゴイなぁと感動しました。そして、お腹を抱えて笑えるほどおもしろい!
『明けの鐘 ごんと鳴るころ 三日月形の 櫛が落ちてる 四畳半』
この歌、一説に寄ると高杉晋作が言ったとか言わなかったとか。
『おもしろき ことも無き世を おもしろく』
高杉晋作と言えば、こちらの句が有名ですが、歴史に名を残すほどの幕末の志士ともなると、動乱の世に置かれた自身の人生をまるごとおもしろがって、粋に戦い、お洒落な遊び方をしていたんだろうなぁと思うのです。
遊び心全開の格好良さ!
わたしもそんな時代の寵児の遊び心にあやかって、『ラブクロム』を買ってみたよ!
え?
イケナイ薬かチープな香水みたいな名前ですって?
わたしも思いました!←
いやいや、アイコン画像の金色の櫛の名前が『ラブクロム』です。笑
我が家の四畳半の和室に、三日月形の、三日月色の櫛を置いて、この写真を撮りたかったというためだけに純金加工の『ラブクロム』を購入したとか言ったら、皆笑ってくれるだろうか。
え。
誰でも参加できちゃう!
大人の文化祭やってます♪
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