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『ドリアン・グレイの肖像』の真相
あえて権威主義的な言い方をすると、大学教授も務めていた作家の『ナボコフの文学講義』で講じられている解読方法に従って『ドリアン・グレイの肖像』を読み解けるという仮説については下記の記事に書きました。
あとはじっくり序文を読めば、『ドリアン・グレイの肖像』にオスカー・ワイルドが書いたことが分かります。最初にネタばらしがあるなんて、なんて親切なんでしょう! 初版本を読み間違える人が多すぎたせいで加筆したらしいですが。
機械翻訳でも分かるレベルですし、本編読んだことなくてもWikipediaであらすじ読めば分かると思います。
なんならWikipedia英語版の記事にはオスカー・ワイルド自身が出した回答がそのまま書かれてます。
それでもこちらで回答を見たい方は、そのまま下までスクロールしてください。
この小説は叙述トリックです。怪奇小説でもなんでもないのです。
The artist is the creator of beautiful things. To reveal art and conceal the artist is art’s aim.
(中略)
It is the spectator, and not life, that art really mirrors.
画家バジルは美男子ドリアン・グレイの創造主です。ドリアン・グレイになりきるのがバジルの狙いです。
(中略)
美術作品が鏡写しにしているのは、人生ではなく、見ている人なのです。
ドリアン・グレイの肖像は、途中から肖像画ではないものに変わっているのです。鏡です。
つまりバジル=ドリアン・グレイです。ホモホモしてるわけではなくて一心同体なのです。彼は社会適応できなくなった哀れなドン・キホーテなわけです。
そしてそのことは本編中に何度も彼が演技をしているなどの比喩でほのめかされています。たとえば1章で何度も「much of myself」と出てきまして、Google翻訳にかけると一部「自分が多すぎる」と直訳してくれます。しかし本書ではそれが真実です。
で、ドリアン・グレイがドン・キホーテならドルシネア姫はシビル・ベーン(Sibyl Vainつまり空虚な・または無益な巫女)です。こちらも作中で「結婚したが、婚約したことは覚えてない」とか「生きたことがないので死んだこともない」とか書かれています。シビル・ベーンは二次嫁とか女優ガチ恋妄想のたぐいだからです。だから現実に触れると死ぬのです。
ちなみに「engaged to be married」はふつうは「婚約」と訳すところGoogle翻訳は「結婚することに従事」と返してくれるのですが、この話ではそれが真実です。そういう妄想なので。
だから別にドリアン・グレイは誰も殺したりなんてしていないのです。彼は自分のことをドリアン・グレイだと思っている異常者なので、現実の人間関係と妄想の中の登場人物とが食い違ってきて人の数が合わなくなるのです。あるいは都合が悪くなってきて記憶から消すか。
しかしながら年齢同一性障害まで併発した彼は、過去については自分を騙せも未来まで演じきれはしないので、人生という舞台を降りるしかないのでした。