「普通」の先に生まれるもの。
それは文化だ。
ちょっと自分の話になるが、僕はブランドものを見にまとうことに1ミリも興味がない。
正確にいうと"なかった"が今はある。
そんなブランド音痴の僕が唯一好きなブランドが2つほどある。
1つは大手コーヒーチェーン店のスターバックスだ。
彼らの目指す未来、人や地球を想う気持ちはとても素晴らしく先進的な考えがすごく推せるところだ。
もう1つは「健康的な消費」を掲げるアパレルブランドfou fouだ。
今、唯一身にまといたいブランドである。
正確に言うと見にまとうことで、fou fouの創業者マールコウサカ氏への「共感」を示したい。さらに言うならばそこから新たな「共感」を生みたいし、共犯者を増やしたい。
"ブランドを身にまとう"ということは、思想を身にまとうということになる。
それでこそブランドを自分が身にまとう価値があると思っている。
それほどまでに、マール氏の思想に共感し、ある種の崇拝心を持っている。笑
彼の考え方は、俺がコーヒーに関わるうえでいつも参考にしている。
まぁこんな小難しい話しは偏屈な僕の考えでしかないので、そんなことよりもfou fouの服はとにかくかわいいので是非着てほしいし、彼女に着ていてほしい。笑
Instagram: @foufou_ha_fukuyasan
自分が今、身にまとえるfou fouはイラストレーターとの合同展示会の時のグッズとワンコインfou fouで縫ってもらったボロいTシャツである。
どちらもとても大切に着ている。
ビックラブである。
さて、このまま続けたら俺の一方的な気持ち悪いラブレターでしかないので本題に入ろう。
僕が生みたいのは、スペシャルティーコーヒーという美味しいコーヒーを「なにも考えずに"普通"に消費できている世の中」だ。
無論、コーヒーの味は好みであるので味については今は言及しない。
「スペシャルティーコーヒー」という文脈は生産者(コーヒーを育ててくれる農園者)の生活水準の向上やフェアトレード的な意味合いが含まれる。
なので、コーヒーは美味しいし、生産者の方もより豊かな暮らしを送れる。つまりみんなが幸せになることができる。
単に「苦くないコーヒー」や「フルーティなコーヒー」という点ではなく、こういう背景を持ったものとして推したい。
美味しいコーヒーが普通になる未来は、より豊かな未来とも言える。
こういった背景を持ったうえで、あとは単純に自分が体験した「コーヒーってこんなに美味しいの!?」っていう体験をみんなにしてほしい。
むしろこの体験こそが、今の俺を突き動かしている。
この感動の体験の瞬間を共有したい。
それに尽きる。
そしてその体験を共有する人たちが増えていくことで、「普通に美味しいコーヒーを選んで飲む人たち」が増えていく。
そしてスペシャルティーコーヒーというのが、普通に消費されていった先に、今よりも広い文化コミュニティが形成されていく。
コーヒー好きであるならば、文化の普及に努めてほしい。というのが俺の望みである。
でもやり口はもっとPopに。
今は0を1にすることの方がよっぽど大切なんだ。
手取り足取り、気長にやろう。
日本人はそもそもお茶の文化がはるか昔から根付いているので、これに勝るなんてことは無理だし、別に勝たなくていい。
だからこそ新たな消費の道を生み出したい。
スペシャルティーコーヒーの文脈はとても大切だが、そこに興味を持ってもらうことよりも、その前段階の「スペシャルティーコーヒー体験」もしくはそれよりもさらに前段階として「コーヒー」自体に興味を持ってもらうことの方が大事だ。
踏み込んだ話はその先に。
そういった機会を今よりも広い範囲で作っていくことが今は大事。
切り口はなんでもいい。
0から1へ、そしてその先に生まれる文化があったら素敵じゃないか。
Kota Noguchi
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#俺はメンズだがfoufouの魔法にかかっている
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