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【連載】C-POPの歴史 第21回 台湾の2000年代-3 台湾Hip Hopの2000年代

中国、香港、台湾などで主に制作される中国語(広東語等含む)のポップスをC-POPと呼んでいて(要するにJ-POP、K-POPに対するC-POPです)、その歴史を、1920年代から最新の音楽まで100年の歴史を時代別に紹介する当連載。前回は台湾のバンド史、前々回は台湾の女性グループ、女性ソロ曲をテーマにゼロ年代の楽曲をそれぞれ振り返りました。

21回目となる今回は、同じく台湾ゼロ年代より、Hip Hopに絞って紹介しようと思います。日本や米国やさまざまな国がそうであるように、現在の台湾音楽シーンにおいてもHip Hopの存在はとても大きなものです。ですが、20世紀が終わった段階では、Hip Hopは台湾ではまだまだ大衆から遠い存在でした。そんなHip Hopが台湾の大衆に受け入れられたのがゼロ年代だと思います。そこには、中心人物と呼べるようなあるアーティストが存在しました。


ここで台湾流Hip Hopの前世紀をおさらい

さて、80年代(第7回)で紹介したBlackliststudio(黑名單工作室)は、台湾で、というよりも中華圏で初めてラップをフューチャーしたバンドでした。1989年のことです。ただ、彼らはHip Hopをやったというよりも、ラップの方法論をバンドに持ち込んだロックです。つまり、今っぽく言えばミクスチャー(ミクスチャーロック。音楽のジャンルの一種ですよ)だと言えます。しかしなんといっても、Hip Hopという惑星に、最も早く足跡をつけたアーティストであるという事実は動きません。台湾語を誰よりも早く駆使した点でも、インディーズ、インディペンデントミュージックの元祖であることもあらゆる点で彼らはとても偉大な存在です。

その後90年代(第10回)にはまず、LA.Boyzがデビュー(1992年)。米国生まれで台湾に帰化した彼らは米国仕込みの本格的なHip Hopを披露しました。彼らがそこまで後世に残らなかったのは、早すぎたこと、英語中心の曲であったことなどが挙げられます(もう一回紹介しますが、彼らが1992年に発表した落雨的晚上という曲はほんとにNujabes並みに最高の曲です)。この頃はサンプリング全盛期なので、おそらく著作権的な問題があるのか、今でもSpotify等に配信されてないという点もあり、なかなかに世の中にすごさが伝わらない惜しい存在です。一方、90年代アングラ(第11回)では豬頭皮(Jutoupi)などが活躍し、Hip Hopアーリーイヤーを多彩にしたと思います。しかし、彼らはアングラ気質で広く大衆に届くことはまだなかったように思います。羅百吉(DJ Jerry)などの活躍は大衆にも評価されました。ただ、彼はラップも披露しますがDJであってラッパーではありません。職業としてのDJを広めた功績は大きいでしょう。

Hip Hopという惑星の探索は続いているけど住居を構えるには至らない。そんな状況が続くなか、00年代初頭には、悪意と怒りを持った2人のラッパーが登場します。それはここまでの歴史で紹介したどのアーティストとも違う個性を持った存在でした。

台湾地下音楽界に舞い降りた2人の口の悪い男

讓我RAP/MC HotDog feat.大支(2001年)

台湾Hip Hop界のビッグファザー、MC HotDogと大支の2人が世紀のはじめに発表した魂の三曲入りEP(このコラムは専門用語ばかり使う音楽誌ではありませんので解説しますが、EPとはシングル以上、アルバム未満と覚えていただければOKです)。その代表曲がこの曲です。この曲はつまるところ、くだらない曲ばかり流してないで俺たちにもっとラップさせろ!てな感じであります。フラストレーションが溜まっていたのか、曲中で徐懐鈺(スー・ホワイユー)をdisったり蔡依林(ジョリン・ツァイ)をdisったりやりたい放題。でもなんか、90年代後半から00年代前半のHip Hopって、日本もこんな感じでギスギスしてましたよね。そんなギラギラ感が生々しい一曲です。台湾Hip Hop界の黎明期って感じ。

韓流來襲/MC HotDog feat.大支、張震嶽、Free Night(2001年)

こちらは、そんな2人(MC HotDog、大支)が、90年代B面(第11回)で取り上げた張震嶽(A-Yue)と組んで今度は韓流ブーム(日本でもこの時期ありましたね)に難癖をつけます。ここでも、売れてるミュージシャンが標的となります。韓国(当時台湾でも売れていたCLONやH.O.Tなど)や台湾のミュージシャン(A-meiやココ・リーなど)に加えて、宇多田ヒカルも「歌うだけで500万枚!F×××」とdisられてます。ここでこの曲を取り上げるということは楽園の地図さんはこの曲のHotDogの意見に賛成だと思われるかもしれません。私は基本的に、悪口は居酒屋でやるものであって曲にするものではないと思います。特に、売れてるという理由でやっかむのは嫉妬だと思われても仕方ないんじゃないでしょうかね。

でもね、HotDogの意見に賛成はしないけど、彼が言ってることもなんかわかるんです。C-POP業界、特に台湾で20世紀に出た音楽はどの曲も似たような曲が多く(この連載で取り上げてる曲がいい曲ばかりなのは、ちゃんと選曲してるからで、つまらない曲が多いのもまた事実)、ついでに日本のものや韓国のものが襲来したらすぐにありがたがる風潮もみっともないからやめなさいよと言いたくもなります。本当の台湾オリジナルを考えましょうってことですよね。つまり、彼らはそういう曲ばかり作る台湾音楽界と、メディアに踊らされてありがたがる大衆を目覚めさせようとしていると思います。そういう、「違う目線」を与えるという意味で、言葉はよくないですが、MC HotDogがラップしてる内容には意味があると思います。そしてHip Hopとは、よくない言葉を解放する遊戯に他なりません。なのでHotDogはこれでいいし、disられたアーティストのことも私は全員好きです。

台灣SONG/大支(Dwagie)(2002年)

ここまではHotDogマターでしたが、こちらは大支単体の曲。これはわかりやすく、台湾愛に溢れた台湾語の曲です。が、そこはHip Hop。随所に口の悪さが垣間見れます。つまりこれは、抑圧された台湾住民の反旗の歌ですが、かつてのBlackliststudio(黑名單工作室)が台湾語でやってきた台湾愛はどちらかというと「嘆き」に近いですが、この曲は「怒り」に他なりません。背筋を伸ばして、奴らに対しても強気に行こうぜということだと思います。奴らというのはまあ、奴らです。リンク先のYoutubeに歌詞が掲載されていますので、それをGoogle翻訳にコピペすればだいたい何を言ってるかはわかります。知りたい方はどうぞ。この曲は多分に政治的なメッセージを含みます。

先ほどのHotDogの曲も含め、この頃の2人の楽曲ではしきりに台湾オリジナルなHip Hopを叫んでいて、それはアメリカから直輸入されたようなHip Hopをやっていた先人のL.A.Boyzに対する対抗心だったのではないかなとも思います。

いやー、それにしてもこの頃のラッパーは口が悪いわ。。。まだ、彼らがメジャーになるのは先のことです。

蘇ったL.A.Boyz。Machi (麻吉)

さて、この項目のもう1人の主人公と言える存在に触れましょう。90年代をかけぬけたL.A.Boyzは1997年に解散します。3人のメンバーがいました。まず、弟の黃立行(Stanley Huang/スタンリー・フアン)は2000年にソロシンガーとして復帰を果たします。その後00年代には、兄弟の中でもラップに歌ものに大活躍します。

打分數(What Number Are You?)/黃立行(Stanley Huang)(2007年)

派手でキャッチーな曲ですね。ポップスはこうでなくっちゃって感じで、洋楽志向のヒップホップが展開されています。Usherとか、そういう雰囲気に近いですね。曲の内容はというと、クラブで女性をナンパしてやるぜって感じでして、チャラい曲です。でも、このLA育ちのスタンリー・フアンにこの曲はなんか似合ってるんですよね。ちなみにこの曲、作曲はJae Chongという韓国人なのですが、麻吉関連の曲はこのJae Chongが必ずクレジットに入っていて、当連載でもさまざまな形で紹介しましたが、C-POPのダンスミュージックの影に韓国系トラックメーカーありです。

せっかくなので、ラップ(Hip Ho[)じゃないですが、スタンリー・フアンの曲も一曲だけ紹介しておきましょう。

黑夜盡頭/黃立行(Stanley Huang)(2008年)

これは「好きだけどお別れしなければいけない女性に、ああ、もうちょっと夢が続けばいいのに」と歌っている曲なのですが、サウンドがすごくイケてるのでなかなか印象的ないい曲です。冬のひとりぼっちの帰り道なんかに合いそうな曲調ですよね。おしゃれだし、何度リピートしてもスルメのようにいい曲です。

当時の台湾音楽シーンでもなかなか上質なポップスを作っていた弟ですが、2010年代以降は役目を終えたのかなんとなく停滞期に入ります。彼もまた、早すぎたシンガーだったのでしょうか。

さて、事実上L.A.Boyzのリーダーをやっていた黃立成(Jeffrey Huang/ジェフリー・フアン)は、解散からなんと6年の時を経て2003年、L.A.Boyzと同じメンバーにさらに仲間を加えて、帰ってきました。彼はまだ諦めてなかったというのがまず最高じゃないですか。クルーの名前も刷新されます。新たなクルーの名前はMACHI (麻吉)。麻吉とは、台湾語でマブダチみたいな意味です。彼ら麻吉とそのクルーたちは、アメリカのカリフォルニア州出身で、台湾に移住してきたメンバーが大半を占めていました。

Jump 2003/黃立成 & MACHI(麻吉)(2003年)

今回は英語じゃなくて台湾語でラップしてます。LA Boyz時代は英語が多かった彼らですが、中国語を飛び越えて最もローカルな言葉である台湾語でラップするというところに、彼らが本気で台湾人に愛されようと努力しているように感じます。

私は常に思ってますし、この連載でもちょくちょく書いてますが、深刻に社会問題を語ったり、ニュースや時流に対して持論を展開する人より、パーティを楽しめる人の方が世の中にいい影響を及ぼしてるんじゃないかなって。ということでパーティの時間です。こちらはとびっきりのパーティソングに仕上がってます。

ところで一聴すると、気になる点があるはずです。やっぱり、子供のラップが入ってるところですよね。彼の名前はAndrew(アンドリュー)。別名、麻吉弟弟。1990年生まれなのでこの頃はまだ13歳です。初っ端の、バイクのエンジン音のモノマネのようなシャウト具合とか、なかなか決まってないですか? 

L.A.Boyzを終えて、リーダーのジェフリーは復帰にあたりさまざまなプランがあったようですが、そのプランの内の一つが麻吉弟弟の存在でしょう。彼がいることで、麻吉はよりポップな存在になれていると思います。

甜蜜蜜/麻吉弟弟 ft 李玖哲(2003年)

さて、こちらはそんな麻吉弟弟のソロデビューアルバムより。同じく麻吉のメンバーでR&Bを歌う李玖哲(Nicky Lee)をフューチャーした楽曲。おお、これは私の好きな、落雨的晚上系の、語りかけ系ラップじゃないですか。しかもR&Bの歌が絡みつつ、サウンドでは古いテレサ・テンの同名曲(甜蜜蜜)がフューチャーされてます。

L.A.Boyzは台湾の、あるいは中華圏のHip Hopシーンの始祖のような存在ですので、すでにこの時点でレジェンドではあります。そしてその後の麻吉の楽曲群で、もう一つの音楽的役割を果たしたと思います。それは、古いC-POPの曲をサンプリングするという方法です。そもそも過去の曲をサンプリングして現代に甦らせるのがHip Hopの醍醐味の一つなら、サンプリング元は洋楽だけでなく、台湾の古い曲でラップしてもいいんじゃないか。「甜蜜蜜」ではそんな実験がさりげなく行われ、成功しているように思います。このあとメジャーシーンでも、ジェイ・チョウやワン・リーホンが中国っぽい音楽に合わせてラップするような曲が歌われますが、その口火を切ったのが麻吉です。各国のHip Hopの共通点として「地元愛」が挙げられますが、彼らはこのような形で地元愛を表現しました。

さて、この路線の真価は、麻吉からさらに若手メンバー3人で別部隊で登場した三角COOLの曲に現れます。

月亮代表我的心 裡有問題/三角COOL(2007年)

これこそ、台湾Hip Hop史に残る名曲じゃないでしょうか。この曲では、あのテレサ・テンの名曲「月亮代表我的心」をサンプリングして、まるで往年のテレサ・テンをR&B歌手のように扱っているところがクールです。よく聞くと原曲のピッチが上がっていて、その分声が高音になっているんですが、なんかそこも天からの声って感じでちょうどいいんですよね。台湾人なら誰でも知ってる曲なので、一部分だけをサンプリングしても、リスナーの心の中で残りのヴォーカルが聴こえてきます。これはとても有名曲であることを逆手に取った演出であると思います。

こうしてL.A.Boyz、あらため麻吉は、いくつかの派生グループも世に送りながらゼロ年代を彩りました。

2000年代前半のHip Hopシーン

ここで一旦2000年代前半までのHip Hopシーンをまとめると、90年代に登場して、米国仕込みのHip Hopを展開する麻吉クルーと、00年代に登場して、より先鋭化した台湾愛を歌う地元ストリート出身のHotDogのグループという、概ね二つの派閥に分かれていたという認識になるかと思います。

音楽性や思想の違いにより2つのグループが交わることはあまりなかったように思いますが、面白いのは2つのグループとも違う方法で台湾愛を表現していたところです。麻吉クルーは、台湾の古い楽曲をサンプリングすることで、この地に台湾オリジナルのHip Hopを表現しようとしていました。一方のHotDogグループは、歌詞中で自分たちにとって不都合なものをdisりながらより先鋭化した台湾愛をぶち上げます。

彼らの努力もあって、また世界の移り変わりもあって、Hip Hopはよりメジャーな存在になります。ゼロ年代後半では新しい才能も続々と登場しました。

新たな才能が続々

こうして2000年代も半分が過ぎると、Hip Hopの楽曲が続々と登場します。それぞれ出自の違う3組を紹介しましょう。

生命要繼續 (Life goes on)黃崇旭(Witness) feat. Agota(2005年)

英語と中国語を交えながらかっこいいラップを披露する黃崇旭(Witness)。彼らはL.A.Boyzや麻吉と同じく、アメリカ生まれの台湾人(地元はテキサス)。本格派な米国流Hip Hopを中国語も使いながら展開して、いわば麻吉の系譜を受け継ぐラッパーと言えるでしょう。

英語と中国語でラップするんですが、ぶっちゃけ英語のほうがカッコよく聴こえるんですよね。これって中国語より英語の方がかっこいいという単純な話ではなく、まだこの頃には中国語をかっこよくラップするというのが技術として確立してなかったのかなと思います。とても出来のいい曲だけに、逆に言語によるラップ技術の差異が垣間見れる曲です。すごくうまいフィーチャリングヴォーカル(語彙力がない)、AGOTAについて情報がほとんどないのですが、ご存知の方は教えてください。

How we roll/頑童MJ116(2008年)

MJ116は、地元の悪ガキ連中というイメージです。116とは、彼らの出身地である台北市木柵(このあたり。猫空とか台北動物園の近く)の郵便番号を指すそうです。レペゼン地元ですね。

彼らは、こんな悪ガキぶってますが、ラップを聴くと韻の踏み方とかがうまいです。中華圏のさまざまなエリアで、英語と中国語をあわせて韻を踏むという形態の曲が今後出てくることになりますが、彼らは言語を超えて韻を踏むアーティストの先駆者のような存在かもしれません。

彼らは、その出自的に、HotDogの系譜と言えるでしょう。これは10年代の話ですが、彼らとHotDogと張震嶽(A-Yue)は、このあと兄弟本色(G.U.T.S)というグループを結成することになります。

國王皇后/大嘴巴(Da Mouth)(2008年)

この頃になってくるとHip Hopはかなりメジャーな存在になってきましたので、当然それまでのシンガーも、ラップに挑戦したりというケースが増えます。(例えば、S.H.E.、ジョリン・ツァイなど)。

そうしたなかで、大嘴巴(Da Mouth)というグループが結成されました。どちらかと言えばストリートで盛り上がるHip Hopに対する、音楽芸能界からの回答という感じでしょうか。彼らはすでに個人である程度キャリアを重ねている人たちであり、メンバー4人のうち、半数にあたる2人は日本人です。例えば、曲中で女性のラップパートを担当する千田愛沙は、沖縄アクターズスクール出身の日本人です。日本で言えばmihimaru GTみたいな感じですけど、ここまで女性のラッパーは存在しなかったし、ビートはかっこいいし、今こそ再評価される存在かもしれません。

台湾流Hip Hopが台湾に根付いた瞬間!?

こうして台湾でもさまざまな形でHip Hopのムーブメントは広がってました。でも、ここまではまだまだメインストリームではない気がします。現代は台湾の音楽シーンもHip Hopがかなりのウェイトを占めてますが、そのターニングポイントはどこにあったのでしょう。

我愛台妹/MC HotDog feat.張震嶽(2006年)

私が思うに、2006年に発表されたこの曲が台湾音楽界に与えたインパクトはと思います。考えてみればHotDogは、それまでどちらかと言えば硬派なイメージがあったように思いますが、この曲では思いっきり軟派に振り切って、台湾の女の子が大好き!(我愛台妹)とぶっちゃけてます。よく聴くとなかなか際どいことも歌ってはいて、その辺はHotDog節だなと思わなくもありませんが、ここに明らかなシフトチェンジを感じます。

私が思うに、これはそれまでの悪口も辞さず本音で語るHotDog路線に、麻吉のような、サウンドで聴かせるHip Hopという方向を足したものに仕上がってます。つまりいいところ取り。この曲はまず、サビのキャッチーさとサウンド面での向上が見られます。それは「Orange」シリーズなどでサンプリングやHip Hopの音楽に造形を深めた張震嶽(A-Yue)の力が大きいと思います。張震嶽(A-Yue)は個人でも実績のあるシンガーソングライターですが、このように台湾Hip Hop界のサウンドメーカーという貢献も忘れてはならないと思います。

この曲はとても台湾人に愛されてるという印象で、今年台湾の高雄に行ったとき、港でイベントをやっていて、DJがさまざまな曲を流していましたが、この曲を流した瞬間フロアが一つになって、みんなでこの曲のサビのフレーズを大合唱してました。こうして、愚痴ばっかり言ってたHotDogは台湾Hip Hop界のレジェンドとして君臨することになりました。

我們的Party最扯/MC HotDog feat. MYRS(2006年)

同時期に発表された、これでもかというパーティソングがこちら。MYRS(米兒絲)という当時のアイドルグループをフィーチャリング。これ以上ないっていうパーティソングに仕上がってますね。なんか、アイドルと組んだりなんかして、昔のHotDogならdisってそうな曲ですが、この時期に心境の変化でもあったんでしょうか。

この連載ではさまざまな中国、香港、台湾産の多様な音楽をあえてC-POPとポップで結んでいますが、なぜロックやHip Hopやその他音楽も含めてポップスと私は表現しているかというと、ポップスこそこうやってインターネット上で聴いていただくのに最良の音楽だと私は考えるし、どんなジャンルの音楽でもポップスになり得ると考えているからです。例えばこの曲はいかにも、Hip Hopとポップスの融合をこれでもかと実現した曲だと思います。

ポップスとは何かというのは言葉で説明するのは案外難しく、売れていればポップとも言えるし、音楽のジャンルであるのであれば売れてなかろうがジャンルとしてのポップは存在するとも言えます。でも、私はポップスをもっと簡単に捉えています。ポップスとは、心や体を動かすための音楽です。心を動かすという意味では詞も重要な要素ですが、体を動かすというのは実はもっと単純で、聴いた時に体を動かしたくなるか否か、体を動かしたくなるのであればそれは良質なポップスであるというとてもわかりやすい基準で考えています。つい口ずさんでしまいたくなるのも、体の反応です。一つも体を動かさなくても、聴いて脳が意味もなく喜んでいれば、それはポップスでしょう。そういう意味で、この曲は何重かの意味で、これ以上ないポップスですね。

この曲のアレンジ(編曲)も張震嶽(A-Yue)。いい仕事してますね。

海洋/MC HotDog feat. 張震嶽, 黃冠豪, 家家& 王湯尼(2008年)

お気づきかと思いますが、今回の主役はMC HotDogです。最後はこの曲で締めくくります。この曲では少数民族(原住民)アーティストである陳建年の海洋(第11回参考)のメロディラインを使ってキャッチーな海の歌を作っています。陳建年は海の素晴らしさを讃えた曲ですが、HotDogは海より水着の女の子が大好きという感じがこれでもかと伝わってきます。うーん、HotDogさんのH。原住民の真面目な曲をこんなサンプリングしちゃっていいんでしょうかね。

真面目な話をすると、この曲は、原住民の曲とHip Hopを混合させた最初の曲かもしれません。こうやって振り返ると、HotDogはさまざまな異色のアーティストとコラボしながら、それまでにない台湾オリジナルのHip Hopのスタイルを確立させていったと思います。こうやってさまざまなジャンルのアーティストと堂々とコラボすることは、彼の自信の現れでしょうし、そのことがまた、彼を一流へと押し上げていった大きな要因でしょう。以降、台湾のHip Hop業界は現在まで花盛りですが、基本的にはHotDogが作り上げた舞台の上で演奏を続けているように私には感じます。

まとめ

こうして、Hip Hopは台湾人の広く大衆の心に根付きました。思えば音楽業界に限らず、台湾全体がこのあと、「海外産ばかりありがたがらず台湾オリジナルへの回帰すること」「台湾は中国とは別の地域であること」を打ち出していくようになります。その台湾の変化は例えば「楽園の地図(メルマガ版)」のインタビューで複数の証言者によって語られてます(例→台北で土産物屋、セレクトショップを営むデザイナーさんによる話)、地元を見直そうという運動が起こったのは、HotDog先生の願いが通じたのかもしれません。やつはビキニが好きで同業者の悪口ばかり言ってる男じゃなかったんだな! 彼は現在も活躍を続けています。

こうして、台湾Hip Hop業界は、台湾人の愛国心を増やしたあと、さらに10年代に進化を遂げます。乞うご期待。

バックナンバー

1927年から2025年まで、約100年のC-POPの歴史を紹介する連載。過去記事は以下で読めます。20回分やって、今、2000年代あたり。果たして全何回で終わるんでしょうか。。




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