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【連載】C-POPの歴史 第17回 2000年代香港-B面、広東Hip Hopの大逆襲
中国、香港、台湾などで主に制作される中国語(広東語等含む)のポップスをC-POPと呼んでいて(要するにJ-POP、K-POPに対するC-POPです)、その歴史を、1920年代から最新の音楽まで100年の歴史を時代別に紹介する当連載。前回は、'00年代の香港の音楽について、音楽業界全体の不況と香港の相対的地位低下というダブルパンチをそれぞれのやり方で乗り越えた2組のアーティストというテーマで記事を書きました。
今回は同じく2000年代の香港から、Hip Hopという音楽ジャンルに絞って紹介します。実は、2000年代の香港音楽界は、Hip Hopの台頭というのが大きなイシューだと思います。彼らは、既存の音楽シーンがシュリンクするのと反比例するように盛り上がるインディーズシーン、インディペンデントな領域が広がる2000年代の香港において、中心的な役割を果たしたと思います。そして、ただでさえ早口な広東語を駆使して、英語とも、日本語ラップとも大きく異なる魅力的な世界を作りました。
どんなアーティストがいて、どんな曲を発表したのでしょうか。さっそく1曲づつ紹介していきましょう。
LMF(大懶堂)と、DJ Tommy
Hip Hopと言えば、なんかイカつい格好をして、自分が悪い奴だと言いふらしていく。そういうイメージありますよね。香港で最初にそういうイメージを押し出したHip HopグループがLMF(大懶堂)でした。LMFとはLazy Mutha Fuckaの略。なんかめっちゃ悪そう!(笑)
大懶堂/LMF(大懶堂)(2000年)
LMFの代表曲といえば、世紀の変わり目に発表されたこの曲『大懶堂』。スラングや隠語が多数使われ、悪そうな言葉が並んでます。90年代までの香港というと、広東ポップに代表されるような、親が青少年に聴かせても問題ないような無害な曲がずらりと並んでいました。LMFはそんな状況を打ち破るために登場したのかなと思います。前回(第16回)紹介したMy Little Airportも、メジャーなポップに対するカウンターとして機能しましたが、ひと足先に2000年にデビューしたLMFもまた、それまでの香港音楽のメジャーシーンに関するオルタナティブな選択を用意したという点で重要だと思います。
メジャーシーンではない、カウンターカルチャーの音楽が好きな人の中で、インテリを自負する人はMy Little Airport、「ストリートで生きるのさ俺は」って方はLMFという棲み分けでしょうか。
返屋企/LMF(大懶堂)(2003年)
返屋企(英語だとGo Home!って感じでしょうか)と題されたこの曲は、香港住民の無情感をストレートに表しています。例えば、『啲貴樓就繼續起 丟空冇人住都繼續起』(たとえ空き家でも、高価な建物は建設され続けるだろう)という歌詞からは、投機マネーが香港に流れ込んで、それが地価を釣り上げている市民の不満が垣間見れます。
特に中盤、『無論你去到幾遠 記得要返屋企』(どこまで行っても、家に帰ることを忘れないで!)と繰り返される部分の切実さは胸に刺さります。承知の通り、1997年に中国に返還された香港を敬遠し、多数の住民が海外に移住してしまいました。この曲は彼らのような、外に脱出した人に対して、俺たちを忘れないで!と訴えています。
この切実なHelpが、見た目がイカつい彼らから訴えられているところがまたグッと来るところがあります。LMF屈指の名曲でしょう。
何超(He Chao)/LMF(大懶堂)/何超儀(2003年)
そんなLMFが歌手の何超儀(ジョシー・ホー)とコラボしたのがこの曲。ジョシー・ホーは1994年に歌手デビューしましたが、さほど売れることなく、正直にいえばパッとしませんでした。そんな彼女は、この曲あたりからインディペンデントな活動に接近し、特に90年代後半から2000年代以降、自主映画に女優として参加したり、このようにLMFとコラボしたり、活動の軸足を少しずつインディペンデントに移してきました。
ジョシー・ホーとLMFのコラボは、香港の映画業界、音楽業界がそれまでのメジャー志向を離れ、インディペンデントな活動中心に業界全体が動いているのが、よくわかる例だと思います。
Respect 4 Da Chopstick Hip Hop/DJ Tommy(2001年)
LMFは、10人ぐらいのMC(ラッパー)とDJ(トラックメーカー)の集いで、グループというよりも、今風の言い方をすればクルー(crew)という雰囲気が近いように思います(つまり、どこまでがメンバーでどこまでがそうでないのかが非常にわかりづらい)。
ただ、トラックメイキングに関しては、特に初期はDJ Tommyの果たした役割が大きいように思います。先ほどの「何超」も作編曲がDJ Tommyです。そんなDJ Tommyが2001年にソロ作を発表していて、そのタイトルが、「Respect 4 Da Chopstick Hip Hop」といいます(くー、これもカッコいいタイトル)。Chopstick=お箸という名前に合わせて、この曲ではLMFのメンバー(香港)に加え、韓国からMETA(Garionというアンダーグラウンドのラップグループのメンバー)とJOOSUC(주석)というラッパーが参加、さらに日本から大阪のラッパー、K-One、MC ILL、JAGUARが参加しています。港韓日3カ国のラッパーの共演は必聴。もちろん、DJ Tommyのトラックもめちゃくちゃかっこいい。
LMFは、香港人にアンダーグラウンドを意識させたという意味で、前回紹介したインディポップの帝王My Little Airportと同様、とても重要なアーティストだと思います。そして、DJ Tommyの楽曲に顕著ですが、彼らはインディーズではあるけど、国境を越えてコラボすることも辞しませんでした。従来のやり方を変えれないメジャーの没落と、新しいやり方を模索するインディーズの勃興。それが2000年代の香港のありようです。
Edison Chen、Ghost Styleの登場
当連載の12回で、香港では90年代にSofthard(軟硬天師)というアーティストが活躍したことを紹介しましたが、彼らのおかげで香港市民はHip Hopについて親しみがすでにありました。彼らからHip Hopのバトンを受け取って、より一般層に広東語のHip Hopを広めたのは、なんといってもこの時代においてはエディソン・チャンだと思います。
香港地/陳冠希(Edison Chen)feat. 陳奐仁, 胡蓓蔚 & MC 仁(2004年)
陳冠希(Edison Chen/エディソン・チャン)によるHip Hopアルバム。彼は1999年に俳優としてデビューしますが、一方でHip Hopの世界にも魅せられ、音楽活動も並行して行います。そして2004年、彼の代表作とも言えるアルバム『Please Steal This Album (192)』(和訳:このアルバムを盗んでください)を発表しています。自ら盗めと呼びかけるなんてなんともカッコいいタイトル。そして上記の曲はこのアルバムの代表曲である、「香港地」です。Hip Hop好きだけじゃなく広くポップ好きも楽しめるいい曲だと思います。
元々早口傾向のある広東語ですが、ラップにするとそのスピード感がすごくリズミカルで、面白いんですよ。
Lazy On the Grind/Ghost Style Ft. Kwokkin(2005年)
Ghost Styleは、カナダ・モントリオール出身のラッパーで、20代に香港にやってきて、2002年に全編英語のソロアルバムを発表します。香港Hip Hop界においてはかなり初期から活動していたアーティストの1人です。
しばらく英語の曲を発表してきた彼ですが、その後2005年にはこのように英語と広東語を混ぜた曲(この曲のような)を発表します。カナダで少年期を過ごしていたからか、とても洗練された(アメリカナイズされたと言えるかも)曲を多数出している印象です。
彼は、先ほどのエディソン・チャンのアルバムのプロデュースを行うなど、裏方としても大活躍しました。また、先ほどのLMFのメンバーらと一緒に廿四味(24herbs)というグループを結成するなど、香港Hip Hop界で需要な役割を果たしました。
甜甜蜜/Jan Lamb(林海峰),胡蓓蔚 (Paisley Hu)(2005年)
さて、香港にHip Hopをもたらしたゴッドファーザー、Softhard(軟硬天師)の2人は、その後活動休止して別々の道を歩みます。より音楽愛の強いJan Lamb(林海峰/ジャン・ラム)はこの時期、精力的にソロで曲を発表し続けます。この曲もアーバンな感じで、香港の街が似合うポップスに仕上がっています。誰かと恋したい気分になる曲ですね。この曲の作曲は、やはりLMFのメンバーであるトラックメーカーのDJ Tommy。DJ Tommyのセンスがここでも光ります。渋い曲も作れば、こういう甘い曲も作るのがDJ Tommyの達者なところ。
ちなみにSofthardのもう1人、葛民輝(エリック・コット/Eric Kot)はその後、役者に転向し、数々の映画に出演後、映画監督デビューします。これまでに4本ほどメガホンを取っていますが、なかでも「初纏戀后的二人世界」という作品は、あのウォン・カーウァイが製作総指揮、そして金城武(かねしろたけし)にカレン・モク(莫文蔚)が主演と豪華布陣の面白い映画なので、ご興味ある方は見てみてください。エリック・コット、そして、ジャン・ラムも含めたSofthard(軟硬天師)が2人とも才能のある集団であることがよくわかると思います。改めて、Hip Hopも映画も、編集の芸術であると言いたくなります。
このように、アンダーグラウンドではLMF、メジャーシーンではエディソン・チャンと、さまざまなHip Hopが登場しました。もう1組、重要なアーティストがいます。彼らの名前は農夫(FAMA)。
ポストSofthard(軟硬天師)、農夫(FAMA)
農夫(FAMA)は陸永とC君の二人組。彼らは、二人組の愉快な兄ちゃんって感じで、イメージ的にもSofthardの直系のプレーヤーだと思ってます。
俳優業のかたわらラッパーもやったかっこいいエディソン・チャン。非常に洗練されたラップを展開したGhost Style、悪そうなギャングスタラップであるLMF。彼らと違うやり方でHip Hopに挑戦したのが農夫(FAMA)でした。
456Wing/農夫(FAMA)(2005年)
香港には、不思議と2つのラップの系譜があります。一つは、ギャングスタラップというか、まあ、見た目がいかつくて悪そうな奴ら。音も低音ゴリゴリみたいな。これはLMFが始祖です。日本で言えばZeebraとか舐達磨みたいなね。低音が効いた音楽で言えば、Dragon Ashとかもその系譜かも。
一方で、コミカルでそこらへんにいる兄ちゃんっぽい。親しみやすくてポップなHip Hop。これに該当するのが、90年代のSofthardであり、00年代の農夫だと思います。日本でいえばスチャダラパーとかリップスライムの系譜ですね。だから、農夫はSofthard系といえます。この系譜はのちにMC $oho & KidNeyという二人組が出てくるんですが、それもお楽しみに。
さて、農夫。彼らの魅力は、今風にいえばエモいってことだと思います。なんか懐かしい気持ちにさせてくれるんですよね。上の曲なんかまさにそうだと思います。聴きやすくて、馴染みやすい。
偉大航道/農夫(FAMA)(2010年)
この曲は2010年発表ということで'00年代を1年はみ出してしまいましたが、農夫の紹介を続けたいのでこのままいきます。この曲もエモいですね。この曲はC君のソロ。この曲は、なんというか、人生の失敗を歌っています。失敗って誰にでもありますが、彼はその失敗を糧に、また歩き出そうと歌っています。不思議と香港のラップって心温まるものが多いのですが、この曲もそんな曲の一つですね。
紅包拿來/任賢齊(Richie Ren) feat. 農夫(FAMA)(2010年)
こちらは、台湾の歌手、俳優の任賢齊(Richie Ren/リッチー・レン)とのコラボ。紅包(ホンパオ)とは、主に旧正月や、誕生日、結婚式で配られるお祝いの袋のことで、日本で言えば白い「のし袋」と同じものだと思ってください。私はこの曲で「新年快樂(シンネンクワイルー)」という言葉を覚えました。
この曲では台湾(リッチー・レンの本拠地)でも香港(農夫の本拠地)でも、中国本土の人でも、過去のことは忘れて「紅包」を贈り合って仲良くしようという世界平和を歌っています。
ところでこの曲では、第1回で紹介した(長期連載になりましたが、第1回覚えてます?)姚莉の玫瑰玫瑰我愛你という1940年の曲をサンプリングしています。私がHip Hopを好きな理由として、Hip Hopという音楽ジャンルが高いメディア性を持っているからです。歌詞にストレートなメッセージを表現できるという意味もありますが、この曲のように過去の曲をサンプリングして現代に甦らせて、歴史を繋いでいくという役割もあると思います。
農夫は、その後も定期的に新譜をリリースし、現在も活躍を続けています。
まとめ
’00年代(2000〜2009年)の香港の音楽の中から、Hip Hopに絞って紹介しました。
香港音楽界は全体としてはシュリンクするなかで、Hip Hop業界は香港の外(韓国、日本、台湾など)との交流も含め、大変元気だったことが伝わってきます。これは、音楽業界全体が、テレビなど旧来のメディアで発表してCDを買ってもらう前世紀的なビジネスモデルから、インターネットで曲を発表し、SNSで広げてライブに足を運んでもらうという現代的なビジネスへの転換があって、その転換に実はHip Hopというジャンルが有利だったからではないかと思います。バンドは、複数名から構成されるのでライブを行うのも全員のスケジュールを調整する必要がありますが、Hip Hopは最低、MC1人だけいればライブは成立します。
10年代以降も、香港には素晴らしいラッパー、Hip Hopがたくさん登場します。お楽しみに。
次回予告
さて今回、さまざまな香港のHip Hopを紹介しましたが、MC Jinという、アメリカでもよく知られる世界的なラッパーについてはあえて触れませんでした。彼の活躍は1回分の価値があると思いますので、次回、1回分を使って紹介します。
バックナンバー
1927年から2025年まで、約100年のC-POPの歴史を紹介する連載。過去記事は以下で読めます。