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【連載】C-POPの歴史 第5回 最初の中国全域のスター、テレサ・テンの、まだ日本人に伝わってない魅力について
前回は1930年代〜1960年代に発表された台湾のポップスについて紹介しましたが、1人の歌手だけ外して紹介しました。彼女の名前はテレサ・テン(鄧麗君)。日本人の私にとってテレサ・テンというと、演歌を歌う大物歌手というイメージで、世代じゃないのであまり偉大さが分からず、スナックとかでよく流れてる音楽というイメージを超えるものではありませんでした。しかし、彼女の足跡について調べ、改めて彼女の音楽を聴くと、スケールの大きさに気づきました。そこで第5回は、「それぞれの地域のスターではなく、はじめて中国全域で愛されたC-POPアーティスト」として、1回分をまるまる使ってテレサ・テンの魅力を、主に後世への影響を中心に紹介します。
生い立ちからデビューまで
テレサ・テンは1953年、台湾、雲林縣褒忠鄉田洋村に生まれます。父は北京からほど近い河北省出身で国民党の軍人、母は山東省出身。つまり彼女は、外省人(国民党が台湾を統治するようになってから台湾にやってきた人やその子孫)ということになります。
Google Mapで生家を調べたところ、現在は文化園区(和訳:文化施設?)に指定されているようです。しかし2、3歳の頃には生地を離れ、池上郷、屏東市と移動し、6歳の頃には新北市蘆州区に落ち着きます。
子供の頃から歌が大好きだったテレサ・テンは1964年、わずか11歳で中国放送が企画した歌のコンクールで優勝してしまう神童っぷりを発揮します。学校に通いながらも歌の活動を続けたかった彼女は、やがて学校を中退し、1967年、14歳にして歌手一本でやっていくことを決断しました。普通、多くのミュージシャンがチャンスを掴んでプロの道を選んでいきますが、彼女の場合はどうしようもなく歌の神様に愛されてしまった。そんな気がいたします。
勸世歌/鄧麗君(Teresa Teng)(1968年)
自分で作詞・作曲をしなかったテレサ・テンは、代わりに年にアルバム2、3枚という現在の感覚で言えば驚異的なペースで音源を残しています。この曲は1965年の曲ですから、発表時はわずか15歳だったことになります。この曲は閩南語(ビンナン語)という言語で歌われています。閩南語は中国の福建省、そして福建省をルーツに持つ台湾の人々によって使われる言葉で、この曲も地元に伝わる民謡のような曲です。
先ほどもお伝えしたとおり、テレサ・テンの両親のルーツは北京にほど近く中国語(普通話)が話される地域。よって閩南語はテレサ・テンにとっては馴染みのある言語とは言えないですが、うまく歌いこなしています。彼女はのちに日本語、広東語、英語など様々な言語で歌唱しますが、言語習得のうまさはこの頃からだったようです。私なんかこれを聴くと、昔の日本の民謡や盆踊りなんかの雰囲気を感じますが、皆さんはいかがでしょうか?
風從哪裡來/鄧麗君(Teresa Teng)(1972年)
1972年。私は音楽家ではないので確かなことは言えませんが、おそらくこの曲のバックバンドは生音だと思います。さまざまな楽器が聴こえてきて、ゴージャスな曲に仕上がってると思います。19歳の女性シンガーに対する期待が、この楽器の多さからも伝わってきます。
テレサ・テンの特徴と言えば、特にサビで発揮される力強く伸びるボーカルです。テレサ・テンの身長は165cmと当時の女性にとっては低いとは言えませんが、それにしても19歳の女性からいかにこのホールの隅まで満遍なく届きそうな声を出せるのか謎です。
この曲を取り上げたのは、のちにテレサ・テンに並ぶとも劣らない香港の歌姫フェイ・ウォン(王菲)のデビュー時のカセットによってカバーされているからです。
風從哪裡來/王菲(Faye Wong)(1985年)
1972年のテレサ・テンから、1985年、ブレイク前のフェイ・ウォンへ。当時のフェイ・ウォンは16歳。テレサもフェイも早熟ですよね。テレサ・テンが他の歌手と比べ偉大だとされているのは、後からやってくる世代への影響力という点でずば抜けているからだと思います。
ちなみにこの頃のフェイ・ウォンはまだ北京に在住していて、この頃のバックバンドは中国本土のバンドだと思われます。それにしても、彼女の歌声も含め、完璧なコピーだと思いませんか? 音源をちゃんと聴いてないとこのコピーはできないと思います。
台湾のポップソングが中国本土で公式に流通することは許されなかったはずですが、この時期中国本土の人はテレサ・テンの海賊版のカセットを誰しもが聴いていたのは有名な話です。このことから、テレサ・テンは、中国人が居住するすべての地域で聴かれていたことが証明できます。
窗外/鄧麗君(Teresa Teng)(1973年)
こちらもテレサ・テン初期の佳曲です。私が感動したのは最初のシンセサイザーの箇所です。なぜかというと、台湾の人気アーティスト、Tizzy BacとSunset RollercoasterのLucy Dreamsという2018年の名曲があるんですが、冒頭の箇所、明らかにテレサ・テンからの引用だと思うんですよね。
Lucy Dreams /Tizzy Bac feat. Sunset Rollercoaster(落日飛車)(2018年)
このリフはテレサ・テンが発祥なのか、あるいは多くのアーティストに多用されてるメロディなのか、または別の誰かが発祥なのか、わかりませんが、音楽って繋がってるなと思った次第です。
台湾のテレサ・テンから、アジアのテレサ・テンへ
台湾で国民的な歌手に上り詰めたテレサ・テンは、その勢いのまま、中国人が多く暮らすシンガポールや香港を中心に海外公演を始めます。当時彼女が公演した国を挙げましょう。シンガポール、香港、マレーシア、フィリピン、ベトナム、タイ。どの地域でも大盛況でした。この時点でまだ20歳そこそこですから、いかに彼女の存在が規格外だったかがよくわかるエピソードです。
再見我的愛人/鄧麗君(Teresa Teng)(1975年)
そして1974年、彼女は日本でデビューします。日本語の習得にも苦労し、しばらくは人気に恵まれませんでしたが、翌1975年には「空港」がヒットします。ただこの曲、いかにも日本の演歌という雰囲気であまり好きではありません。私が思うに、テレサ・テンの日本語の楽曲は演歌に偏りすぎており、それがゆえに日本の現在のリスナーにとっては「過去の人」というイメージがあるのではと思ってます。たくさんの人に影響を与えたビートルズがいまだに過去の人ではないように、テレサ・テンも過去の人ではないと私は思ってます。
ところで、テレサ・テンは、来日時に日本の音楽にたっぷり触れ、日本の歌謡曲が気に入ったのでしょう。たくさんの日本の歌謡曲の中国語版の歌唱を残しています。
1975年には日本語歌謡の名曲「グッド・バイ・マイ・ラブ」をカバーしますが、これが原曲に負けず劣らずいいカバーに仕上がってると思います。この曲も香港の甄妮(Jenny Tseng)などさまざまなアーティストにカバーされていますが、この日本の曲が中華圏全域で有名なのは、テレサ・テンがカバーしたからだと思います。
そしてついに、テレサ・テンを代表する楽曲が生まれます。
月亮代表我的心/鄧麗君(Teresa Teng)(1977年)
月亮代表我的心(和訳すると、「月は私の心を表している」というところでしょうか)は、テレサ・テンを代表する曲であり、台湾の歌謡曲を代表する曲でもあり、C-POPの歴史にその名を刻む一曲と言えるでしょう。
とにかく「私はあなたを愛してる」というシンプルな歌詞を熱唱するテレサ・テン。台湾の、いや、中国語を理解する当時のすべての殿方をじんとさせたてであろう名曲です。もし当時の日本の歌謡曲を代表する曲が「上を向いて歩こう」だとしたら、ひょっとするとこの曲はそれに匹敵する曲と言えるかもしれません。
作詞は数千曲の詞を残した孫儀、作曲は湯尼というペンネームで活動していた翁清溪です。
この曲が台湾でずっと愛されている証拠に、のちのHipHopアーティストによってカバーされています。往年の名曲が大胆にサンプリングされていますが、なかなかいい仕上がりなので聴いてみてください。
月亮代表我的心 裡有問題/三角COOL(2007年)
この曲ぜひ聴いてほしいんですが、テレサ・テンがこんなにHip Hopにハマるなんておどろきじゃないですか? まるでテレサ・テンがR&Bシンガーみたいです! 彼女の魅力は歌声の魅力だと思うので、こうやって現代的な音源の中で蘇るのはとても新鮮でいいことだと思います。
何日君再来/鄧麗君(Teresa Teng)(1978年)
これは第1回で紹介した古い上海の時代曲のカバーです。テレサ・テンの心の中には、常に戦前の租界地に流れる時代曲への憧れがあったようです。
さて、先ほど紹介した香港の歌姫、フェイ・ウォンも上海の時代曲に憧れて歌手を目指します。台湾のトップアーティストと香港のトップアーティストが時代曲という同じルーツを持っていたというのは、不思議なことではないかもしれませんが、やはり何かの運命のようなものを感じずにはいられません。
時の流れに身をまかせ/テレサ・テン(1986年)
中国では大スターだったテレサ・テンですが、日本ではたくさんいる歌手の中の1人というイメージでした。そんなイメージを払拭したのがこの曲でしょう。この曲でテレサ・テンは日本においても大物歌手であるというイメージを手にしました。
でもまあ、私的に聴いてほしいのは、再び台湾Hip Hopアーティストに大胆にサンプリングされているこの曲です。
輕熟女27/MC HotDog feat.關彥淳(2012年)
こちらはのちに紹介する台湾を代表するラッパー、MC Hot Dogによる、「時の流れに身をまかせ」を大胆にサンプリングした楽曲。通常、Hip Hopは黒人の文化圏で成立した音楽ジャンルですので、同じく黒人の音楽であるR&Bの曲をサンプリングすることが多いのですが、こうやって聴くとテレサ・テンの歌声にはソウルシンガーとしての要素があったように聴こえます。
伝説よりも、曲を聴こう
さて、テレサ・テンはマレーシアの精糖工場の息子(地元で砂糖王と呼ばれる富豪)と恋に落ちたり、ジャッキー・チェンと恋仲になりかけたり、あの習近平がファンであったとか、中国本土も聴取できる台湾/中国国境の金門ラジオで民主主義の素晴らしさを訴えたとか、喘息による心筋梗塞が死因とされるも、その死は少し謎めいていたとか、かなりドラマティックな生涯を終えました。私たちより上の世代のファン(ひょっとしたらあなたのお父さんやお母さん、あるいは、おじいさん、おばあさん)は、彼女のそういう伝説性にも惹かれたと思います。
ただ、この項目を書くにわたって、Hip Hopでサンプリングされるテレサ・テンなどを紹介することで、手垢がついたように見えるテレサ・テンの、新しい価値を感じていただきたかったのです。そのため、あえて楽曲や歌に関する話題を中心にまとめてみました。彼女の伝説や生涯に興味がある方はぜひそちらも調べていただければと思います。
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さて、第5回までで、香港、台湾、中国本土の1970年代までのポップスを振り返りました。次回以降のC-POPの歴史は、いよいよ激動の1980年代に向かいたいと思います。