行きゅんにゃ加那(行ってしまうのか愛しい人よ)
元ちとせと中孝介の歌う、奄美シマ歌の代表曲「行きゅんにゃ加那」。ネイティブの二人の掛け合いの島唄が、異国にいるかのようにゾクゾクさせる。島の三線から始まり、今か今かと歌が入ってくるタイミングに耳を傾けていると、あまりにふわっとちとせの歌声が導入してくる。その自然な成り行きに聞きほれていると、島の独特の裏声を切り返しながら中孝介が受けてくる。それはそれはエキゾチックだ。
以前、元ちとせがテレビで話していたのを見たことがある。(徹子の部屋だったかな)
ー子どものころ役場に勤めていた母が、子どもたちを置いて仕事に行くとき「昼ごはんは、その辺の畑にいるばあちゃんのところで食べさせてもらいなね」といって出かけていく。弟はまだおむつをしているような小さな子だったけど、私たちにとっては、その辺のばあちゃんは誰でも食べさせてくれる人たちだったので、何の違和感もなく毎日そんなふうに過ごしていた。ー
奄美の人たちは、緩やかな大家族として共存していることがわかる。琉球の島々の出生率が高いのもきっとこういうことが要因にあるのだと思う。
私も3回ほど奄美大島へ行ったことがあるが、この「行きゅんにゃ加那」は知らない人はいないぐらい島ではポピュラーな歌だ。飲み屋に行くと人々が輪になり、誰かが三線を奏で、この歌を歌い始める。飲みながら即興で歌を作り、輪の順番で回っていく。今日の出来事だったり、今目の前のことだったり、恋人のことだったり・・・。ひとりひとりの即興詩が信じられないほど美しい。
奄美大島あたりでは、今でも色濃く土着の音楽や言葉や風習が残っている。私の住む東北の山奥でも、高齢者たちはこの地域特有の生活をしてきたのだから、まだ絶えてはいないが、日常の中ではなかなか体験できなくなってきた。それでも、私の通っているデイサービスでは、機織りしながら気分が出てくると民謡を歌い始めるじいちゃんがいた。そのまわりにいる、ばあちゃんたちが「さ~どっこいどっこい」、などと自然な合いの手をいれる。
日本中に本来その地域の土着の文化が流れていて、それこそが人々の生きていく力となって来た。子どもの数が減り国力が減退している今、合併、統合一辺倒ではなく、地方性、地域性にもっと着目して大切に継承していくことは国力にもつながると思う。