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幸せを与える存在

こんばんは、雑草ちゃんです。

前回の投稿から少し空きましたが、けっして三日坊主になってしまったわけではありません。

じつは、わたしが大大大好きなボーカロイド(音声合成ソフト)たちが主役のイベント、「マジカルミライ2024」に参加しておりましたー👏

本当に楽しくて、泣いたり笑ったりしながら、この時間が終わらないでほしいと切に願っていたのと同時に、きっと限りある貴重な時間だからこそ、そう感じたのだろうとも思います。

確かな幸福を味わったひとときでした。

幸せとは

それはわたしが何度も考えてきたテーマのひとつです。

心身ともに外の世界からの影響を受けやすく、疲れを積み重ねやすかったわたしは、悲しいことに「生きることが楽しい」と思うことのほうが少ない人生でした。

いったい自分はどうやったら幸せだと思えるんだろう、ほかの人みたいに心から楽しそうに笑えるんだろう、何度もそう思いました。

だからこそ共感できることや、触れられたもの、好きになれたものがたくさんあります。

夢中になれる存在

テレビの芸能人やスポーツ選手のようなスターの存在って、医者や科学者のように、人間という生命として生きていくために必要不可欠な役割、とは少し違いますよね。

しかし時代が進むにつれて、とくに日本の若者にとっては、ますます重要な存在になっていると感じます。

最近はそれらが、「推し」という概念となってすっかり定着している印象です。(どうやらこの言葉を嫌う人も一定数いるみたいです)

以前の記事や冒頭に書いたとおり、わたしにも何人かいます。テレビではなくインターネットの中でしたが。

生きる理由になり得る存在

生活を豊かにしてくれる、ほどよく楽しめる趣味、程度のものではなく、本当の意味で推しが生きがいになっている人が、たぶんどんどん増えていると思うんですよね。(もちろん全員ではないと思います。)

わたしもそのひとりなんです。

昔テレビで、自殺したアーティストの後を追うファンが現れてしまったという過去の出来事を知ったとき、心底信じられないと感じたのをおぼえていますが、今ならほんの少しだけ理解できます。

趣味じゃなく、宗教に近いんですね。心の支えなんです。
しかも、自分の中で支柱をつくるのではなく、人がつくったものを外から持ってきてる感覚です。

そしていつしかその柱に依存しはじめます。

自分のものではないから、自分じゃどうしようもできない要因で崩れてしまうこともある。
そうすると、ほかに支えがない心は、いっしょに崩れてしまう。

わたしも何度か経験していますが、めちゃくちゃしんどいです。すごく危ういですよね。

与える側の存在

推しに対し、供給という言葉がよく使われています。コンテンツの大元から与えられるのを待つというのが基本です。

与えられるのを待つことは対象に依存する行為であり、自分にとって大切な存在であるほど、その依存度合いは増していくでしょう。

そういう部分があることはおそらく避けられないし、べつにあってもいいと思います。

しかし、そこ一点に頼りきりになるのは心からの幸せとは程遠いです。
経験済みなのでわかります(T_T)

だからこそわたしは与える側でもありたい。
そう強く思うようになりました。

このnoteからそんな存在になっていきたいです。

そうなることで自分のためにも、人のためにもなれるのであれば、幸せな人生になっていくのではないかと思います。


そんな願いのもと、ここから幸せの道をつくっていくため日々精進してまいります(*^^*)

最後までお読みいただきありがとうございました。

助言をいただいたので、次の記事から見出しと、余裕があればお礼イラストを書いてみようと思います。

※画像は椿 -TSUBAKI-様のものをお借りしました。ありがとうございます。

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