⑬キャメルキャラメル~19TH POPCON~
「キャメル・キャラメル」はPOPCON初出場でいきなり入賞した。
なんと、TV番組もあり、入賞以上は結構長い時間流れた。
すごい時代だった。
サッカーでいうと県大会ベスト8からの中継か?
ちなみにこの回に一緒に出た「ピアノのおけいこ」はのちにレコードデビューしている。
音楽に順位なんてつけられないけど、いつかグランプリをとってつま恋で行われる、全国大会「つま恋本選会」に出場したいと思った。
あの「グランプリは・・・」と司会者が言った後、会場に受賞曲が流れ歓声が沸きあがるのは同じで、感動したのだ。
この回のゲストは「クリスタルキング」
「MAHOY」(この後に書いてあります)のM田さんが知り合いで、写真撮影を頼んでくれた。
嬉しい!ミーハーな僕達であった。
ご存知「大都会」で、つま恋のみならず、その上の世界歌謡祭でグランプリをとり、次に発表した「蜃気楼」は資生堂?だったかな、CM曲となりこれまた大ヒット。
そんな絶頂期ににゲスト出演するので、演奏時間は短いとはいえ、チケットはすぐ売り切れた。
で、「クリスタル・キング」は九州の米軍キャンプやディスコで活動していたのだけどそのメンバーと知り合いだという人達がこの回の「POPCON」にエントリーしていた。
それが、前述の「MAHOY」というバンド。
彼らも(ヴォーカルは女性ですが)、「クリスタルキング」と同じ様に市内のディスコ、「Iペンデントハウス」で演奏していた。
「クリスタルキング」のように少々歳はいっても(失礼!)確かな演奏技術と楽曲、個性があればデビューも夢ではない。
「クリスタルキング」に触発されたのかどうかは知らないが、「MAHOY」もまた「POPCON」にエントリーしてきたのだ。
この手のバンドがPOPCONに出るというのも珍しかったんじゃないかな?
「MAHOY」のリハーサルを見て僕達はびっくりした。「なんとかっこいい!」
早速話しかけ(こういう事では案外図々しい)いろいろ質問攻め、今後のおつきあいをお願いした。
すると驚いた事に「いつでもディスコに遊びにおいで」と言ってくれたのだ。
なんと優しいお兄さん?おじさん?達ではないでしょうか!
僕は大学時代に一時通っていたディスコにまた通い始めることになった。
だいたい15時くらいから練習するそうなので、ドラムのH野さんのテクニックに惚れこんだ僕は時間がある限り見学させてもらった。
楽屋では今でいうと電子メトロノームに合わせていろいろな事を教えてもらった。
これです。BOSSのDr BEATっていうやつ。
まず驚いたのはあのピッピッっていう音はぴったり合うと消える(音がしない)ということ。これができた時は自分でもびっくりして嬉しかった。
次にテンポをしっかり出す為にピッピッの裏からリズムを刻み始める。
そして、ピッピッを裏に感じる、というか裏の音に替える。
これはリズムキープの練習にもなるし、リズムの裏を感じるという練習にもなり非常に素晴らしい練習方法だと思う。
そのほか、あまりフィルとかにこだわらない僕でも「これはコピーしたい」と思うフィルをたくさん教えてもらった。
でも一番僕が好きだったのは、うちのヴォーカルのツボ君が言った「ドラムだけで唄えるね」というように、すごいテクニックがありながらなるべく唄がメイン、シンプルに、抑えるところはおさえて、盛り上がるところはダイナミックな演奏になり、ここぞというところはテクニックバリバリのフィルをいれたり。そういう歌心があるということ。いわゆる「歌ってるね」というドラムだったこと。
リムショットはもう素晴らしい音色だし。
簡単にいうと惚れました。 仲良くなるとアパートにも遊びにいかせてもらったり、
僕はH野さんのドラムを安く譲り受けた。
もうひとり、リーダーの作詞作曲をしてるM田さんにもとてもよくしてもらった。
しばらくして「お前のドラムもよれなくなったな」と褒められて、前がひどかっただけなのだが嬉しかったのを覚えている。
仕事で一緒に演奏させてもらった時はやはりジャズのスタンダードが多く、僕はジャズが苦手なので申し訳ないことをしたと思う。
この回のMAHOYは惜しくも優秀賞だったが、その次の回で見事グランプリを受賞し、つま恋本選会でも優秀賞を受賞。
ゲストだった「チャゲ&飛鳥」が「ああいう大人の雰囲気に憧れる」みたいなことを言っていた記憶がある。
本選前には東京の本部で録音するんだけど、アレンジも替えすごくかっこよかった。
全国大会で優秀賞をとって評判も良かったが、何故かプロにはならなかった。この業界で「プロ」というのは、当時レコードを会社から出すということだったが、「MAHOY」がレコードを出すことはなかった。
理由はわからない。
みんなで上京というのもメンバー内で温度差があったのかもしれないし。
でもみんなヘタなプロより上手で、M田さんが、以前「俺はずっと音楽で家族を養ってきたことを誇りに思う」と話してくれたように、事務所と契約したりレコードは出していなくても出す音にはプロ意識があったと僕は思う。
とてもあこがれたバンド「MAHOY」と出逢えた最初のPOPCONだった。